即 効 薬
|
即効薬 第五話 従兄妹で Side-A
・序章
「ただいま、母さん。」
「お帰り、直樹。」
「今日の講義は結構大変で疲れちゃったよ。診療所が休みで良かった。コーラか何かあったっけ?」
「冷蔵庫に入ってるから、飲んじゃっていいわよ。それで、疲れてる所悪いんだけれど…」
「何? 買物?」
「ううん、そうじゃなくて。早百合おばさんの所に届け物をしてほしいの。」
「えっ? 梓ちゃんの所?」
「うん。今朝実家から梨が届いたの。それでお裾分けにと思ったんだけど、早百合おばさんの所、ちょっと遠いから。」
「確かに、車じゃないと結構あるからね。父さんは今日はいないし。」
「それに、早百合おばさんには直樹が行くって伝えちゃったから。」
「分かったよ、一休みしたら行って来るから。それと、本屋に寄って来るから、帰りはちょっと遅くなるよ。」
「はいはい。夕飯までには帰って来てね。それじゃあ、悪いけれどお願いね。」
「別に悪い事無いってば。僕の方が車を借りている立場なんだから、そういう事はいくらでも言ってくれていいんだからね。」
僕は上川直樹(かみかわ なおき)。現在大学の医学部に所属している1回生。父さんは開業医で、小さな診療所を開いている。僕は、大学の講義が終わった後は大体診療所に行って、バイトを兼ねて父さんの手伝いをしている。まだ免許は持っていないので、実際の治療は出来ない。せいぜい事務処理の一部と、看護婦さんの手伝いくらいだ。それでも、実地での仕事で学ぶ事は多い。バイト料が目当てでは無いとは言い切れないけれども、診療所で学ぶ事と、患者さんの笑顔を見る事が出来るという事の方が嬉しい。いつか、僕自身がその笑顔を呼ぶ事が出来るようになる為に…
・第一章 目撃
それからしばらくして、僕は梨を持って車に乗り込んだ。
「…梓ちゃんか。久しぶりだな…」
上川梓ちゃんは僕の従妹で、今は高校2年生の女の子。車で20分位の所に住んでいるんだけれども、バスとか電車で行こうとすると、路線の関係で1時間くらいは掛かってしまう。そういう場所の関係と、大学とバイトの関係で、一番近くに住んでいる親戚なのに年に数回しか会っていない。僕は少しウキウキしながら、キーを回した。
滝城高校前駅と滝城高校のちょうど中間位の場所に、梓ちゃんの住んでいるマンションはある。僕は駐車場に車を停め、荷物を持って3階まで上がった。そして、梓ちゃんの家の前まで来ると、チャイムを押した。
「…あれ?」
チャイムを押しても、何も聞こえなかった。外には聞こえなくて、中にだけ聞こえるチャイムだったっけ? 僕はドアノブに手を伸ばした。
「…えっ?」
鍵は掛かっていなかった。そのままドアを開けてみると、家の中は静まり返っていた。
「…ごめんくださーい…」
僕は家の中に呼びかけてみたが、返事は無い。誰もいないのに、ドアは開いている…? …何か、嫌な予感がする… …まさか、強盗とか…
「…おじゃまします…」
一応断りを入れてから、僕は家に入った。そして、物音が聞こえないか、耳を澄ませる…
『くぁっ…』
微かだけど、苦しそうな呻き声が聞こえたような気がした。 …一体、どこから?
『うぁぁっ… うぅっ…』
…女の子? …梓ちゃんの部屋? まさか、梓ちゃんに何かが!? 僕は慌てて梓ちゃんの部屋のドアを開けた。
ガチャ
「梓ちゃん、いる?」
「…えっ?…」
「…あっ?…」
梓ちゃんは、ちゃんと部屋の中にいた。縛られていたりとか、そんな形跡は無い。他に怪しい人影は無い。しかし… …梓ちゃんは、上半身は高校のブラウスを着ていたけれど、下半身は裸だった。膝胸位を取って、両手をお尻に回している。そして、ピンク色の丸い何かを潰しているみたいだった。 …えっ? …まさか、浣腸?
「キャァァァァァァァァァァッ!?」
「ご、ごめんっ!」
梓ちゃんの悲鳴で、僕は我に返った。慌てて謝って、梓ちゃんに背を向けた。
「な、何で直君がここに!?」
「か、母さんに頼まれて届け物を… チャイムを押しても誰も出てこなかったけど、鍵が開いていたから中に入って… そしたら、梓ちゃんの部屋の方から呻き声が聞こえたから…」
もう、頭の中がゴチャゴチャになっていて、それだけを言うのがやっとだった。
「…うぁっ…」
突然、僕の言葉を梓ちゃんの苦しそうな呻き声が遮った。 …そうだ、さっきの浣腸、もう入れちゃっていたんだ!
「…あっ! い、いいから、早くトイレに… 僕は、あっち向いているから…」
「う、うん…」
梓ちゃんの方を見ないように、僕はトイレと反対側の壁の方を向いた。その後ろを、梓ちゃんが走っていくのが足音で分かる。そして、トイレのドアが閉まる音。呻き声と…
「…」
どうしよう… いくら何でも、今のはまずい… 梓ちゃんはドアに対して横向きになっていたから、肛門や陰部は見えていなかった。それでも、そんな姿をしている所や浣腸をしている所を見られた事が、恥ずかしく無い訳は無い。ましてや、男である僕に… …とにかく、謝らないと…
…水が流れる音、ドアが開く音。それから少しして、梓ちゃんの足音が聞こえてきた。
「梓ちゃ…」
「駄目! まだ見ないで!」
「う、うん…」
振り返って謝ろうとしたけれど、梓ちゃんに止められてしまった。僕は再び壁の方を向いた。後ろを梓ちゃんが急いで走り抜け、部屋に入ってドアを閉めた。
「…あっ…」
…そういえば、さっきトイレに行った時、あのまま着替えを持たずに?… …そうすると、今の梓ちゃんの格好は… …僕は、完全に振り返らなかった事を思い出して、ホッとした。これ以上、梓ちゃんを傷付けたく無かったから…
・第二章 談笑
しばらくすると、梓ちゃんが部屋から出てきた。制服から私服に着替えていた。そして、俯いたまま僕の前に立った…
「あ、梓ちゃん… その…」
謝りかけた僕を制するかのように、梓ちゃんはキッと僕の事を睨み付けた。そして、右腕を振り上げ… …これくらい、しょうがないよね。あんなに恥ずかしい目に遭わせちゃったんだもの…
ペチッ
しかし、僕の頬に届いた衝撃は、とても弱々しかった…
「…ごめんね… …アタシが怒っちゃいけないよね… …玄関の鍵を掛けなかったアタシが悪いんだから…」
梓ちゃんは、僕の頬に手を当てたまま俯いて、謝ってきた。 …確かに玄関に鍵は掛かっていなかったけれど、悪いのは僕の方なのに…
「そんな事無いよ… …無断で家に入ったんだし… …何より、梓ちゃんの部屋に入る前にノックしなかったんだから… …本当にごめん…」
「ううん、もういいよ… 両方とも悪かったんだから、おあいこって事で…」
「で、でも…」
「いいの! おあいこ! 直君がそんな風にしていると、却って恥ずかしいんだからね!」
…そうかもしれない。確かに、相手がいつまでも気にしていると、却って自分が恥ずかしくなる事もあるから… 僕は、頬に当てられたままの梓ちゃんの手の上に、自分の手を重ねた。
「うん、分かった… 梓ちゃんがそれでいいって言うなら…」
すると、梓ちゃんは耳まで赤くなって、僕の頬から慌てて手を離した。 …却って恥ずかしい思いをさせちゃったかな?
「と、とりあえず、そこに座ってて… …えっと、コーヒーでいいかな?」
「あ、うん。ありがとう。」
梓ちゃんの勧めるまま、僕はリビングの椅子に腰を下ろした。梓ちゃんは、まるで照れ隠しのように、急いでコーヒーを入れ始めた。
「ところで、急にどうしたの? 突然だから、すごく驚いちゃった。」
コーヒーを運びながら、梓ちゃんが明るい声で聞いてきた。 …でも、突然来たって? 母さんから連絡来てるんじゃなかったの?
「あれ? おばさんから聞いてない? 母さんの実家から梨をいっぱい貰ったから、お裾分けに来たんだけど…」
「アタシが帰って来た時は、もうママはいなかったから何も聞いて無いよ。」
そう言いながら、梓ちゃんがコーヒーを持ってきた。僕のはブラックで、梓ちゃんのは砂糖とミルク両方とも多め。 …あれ? 久しぶりに会うのに、僕がブラックが好きなの覚えていてくれたんだ…
「…あれ?」
その時、僕達は初めてテーブルの上のメモと電池に気が付いた。
『梓へ 朋絵おばさんが梨を分けてくれるそうです。直樹君が持ってきてくれるそうなので、受け取っておいてください。あと、電池買っておいたので、チャイムの電池を入れ替えておいてください。 ママより』
そうか。それでチャイムを押しても何も鳴らなかったんだ。
「…こんなの、全然気が付かなかった。帰って来てから部屋に直行しちゃったから… …それに、チャイムの電池の入れ替えって、どうすればいいのよ?」
梓ちゃんは、困ったように電池を見つめた。確か梓ちゃんは、かなりの機械音痴だったはずだ。テレビのリモコンの電池を替えようとして、30分悩んでギブアップした事もあった位だ。
「はいはい。チャイムのスピーカーって、あれだよね?」
僕は笑いながら、電池を持ってチャイムのスピーカーを調べてみた。 …うん、このタイプなら多分ココを… 電池の交換はすぐに済んだ。そして玄関に行って、チャイムのボタンを押してみると…
ピンポ〜ン
今度はちゃんと、チャイムの音が聞こえてきた。
「よし。これでいいかな?」
「直君、すごい。ほんの数秒で…」
梓ちゃんが、感心したようにそう言ってきた。これくらいの事でそんなに感心されると、結構恥ずかしいんだけど…
「こんなのたいした事じゃないって。はい、古くなった電池と、お裾分けの梨。」
「わ、ありがとう。ちょっと待っててね?」
僕が梨の入った袋を渡すと、梓ちゃんはひとつを残して、残りを冷蔵庫に入れた。残ったひとつを、皮を剥いて切ってから皿に載せて、楊枝を2本刺してテーブルに持って来た。
「はい、どうぞ。ちょっと冷やした方が良かったかな?」
その手際の良さに、僕は心底感心していた。包丁なんて結構扱いが難しいのに、いとも簡単に…
「…僕なんかより、梓ちゃんの方がすごいよ。こんなに簡単に料理出来るなんて…」
「料理って、ただ皮を剥いて切っただけじゃない。これこそたいした事無いって。」
「いやいや、この間仲間内で鍋をやったんだけど、女の子が遅れて来るっていうんで男だけで準備していたら、人参剥けば半径1センチは減ってるわ、魚はグチャグチャになるわ、具材だけでなくて指も切るわで…」
「…まさに阿鼻叫喚…」
「そうなんだよ。女の子が来た時の第一声が、『何これ!?』って悲鳴だったからなぁ…」
…あの時は凄まじかった。『男子厨房に入るべからず』と言う言葉があるけど、まさにそれを体感した1日だった…
「…いいの? これからお医者さんになろうとしているのに、そんな不器用で?」
「まあ、料理と手術とかは根本的に違うから、大丈夫だと思うんだけど…」
そんな雑談をしばらく続けていると、僕は梓ちゃんの異変に気が付いた。どことなくソワソワした感じで、左手でお腹を押さえている。もしかして…
「まだお腹痛い? 大丈夫?」
「えっ? …ううん、痛くないんだけど、何か落ち着かない感じがしたから…」
「まだ薬が残ってるのかな?」
僕のその一言で、梓ちゃんの顔は真っ赤になってしまった。 …僕の馬鹿! これ以上梓ちゃんに恥ずかしい思いをさせてどうするんだ!
「あっ… ご、ごめん…」
「…ううん、いいよ。もうバレちゃったんだから…」
そう言いながらも、梓ちゃんは俯いてしまった。 …でも、浣腸を使っていたって事は…
「あの… …便秘、してたんだよね?」
「…うん。今日で3日目なの…」
「下剤とか、使わないの?」
「あんまり使いたくない… あれって効き目が長いから、いつお腹痛くなるか分からないし… もし、通学中とか授業中にお腹痛くなったらと思うと…」
「そうか… そうすると、やっぱり浣腸が一番手っ取り早いか…」
「…うん…」
「まあ、ちゃんと薬が出れば、そのお腹の違和感も無くなるから、もうちょっとの我慢だよ。」
「…ううん、もうちょっとじゃない…」
「えっ?」
もうちょっとじゃないって、どういう事?
「…実は、さっきはほとんど出なかったの… …だから、もう1回しないといけないけど… …でも…」
「…でも? どうしたの?」
「…さっきのが、最後の薬だったから… …だから、まず買いに行かないと… …でも、買いに行くの恥ずかしいから…」
確かに女の子にとっては、浣腸を使う事も、買いに行く事も、店員さんに使う事を知られる事も恥ずかしいだろう。かといって、病院で治療を受けるとなると、尚更恥ずかしいだろう。でも、浣腸を使わない訳にはいかないし… 店員さんに知られずに浣腸を手に入れる方法… …そうだ。
「…父さんの病院に行こうか?」
「えっ?」
梓ちゃんが驚いて僕の方を見た。
「今日は父さんが出張で、ちょうど休診なんだ。病院用の浣腸だけど、僕がいれば使う事が出来るから。」
「…いいの? おじさんに内緒でそんな事しちゃって?…」
「まあ、本当はよくないんだけれども、何とか大丈夫だよ。それくらいの事はちゃんと出来るから。」
「…でも、やっぱり恥ずかしいから…」
「大丈夫、使い方も教えてあげるから。ひとりで使って、終わったら呼んでくれればいいからね。」
「…じゃあ、お願いしちゃっても、いい?…」
「うん、いいよ。でもその前に、コーヒーと梨を食べちゃおうね。せっかくの梓ちゃんの手料理、残したら勿体無いからね。」
「…だから、料理なんてたいそうな物じゃないってば…」
僕が冗談交じりに言うと、梓ちゃんはやっと笑ってくれた。良かった。いつもの梓ちゃんに戻ってくれて…
・第三章 弁明
その後、僕は梓ちゃんを車に乗せて、父さんの診療所へと向かった。
「そういえば、おじさんの病院って行った事無いんだけど、結構遠いの?」
「まあ、電車とかだとちょっと遠いかな? 車ならすぐだけどね。」
そう言えば、梓ちゃんは父さんの診療所に行った事って無かったっけ… 診療所に着くまで、僕と梓ちゃんは色々雑談していた。近くに住んでるはずなのに、普段はあまり会っていないから…
「…あれ? ここって…」
「どうしたの?」
「…診療所って、この近くなの?」
「うん。ほら、見えてきた。あそこにある上川診療所だよ。」
僕は駐車場に車を停めて、ふたりで車を降りた。診療所の入口まで向かい、財布に付けてある鍵で入り口を開けた。
「さ、入って。」
「うん…」
梓ちゃんを促して、僕達は待合室に入った。いつも見慣れている待合室なのに、誰もいなくて、ブラインドが降りているというだけで、重苦しい空間となっていた。
「梓ちゃん。トイレに行って、ちょっと頑張ってみてくれるかな? トイレはそこだから。」
「えっ?」
梓ちゃんが驚いて声を上げた。普通に考えれば、浣腸をするために来たのに、その前にトイレに行ってもあまり意味は無い。けれど、梓ちゃんには出来るだけ恥ずかしい思いをしてもらいたく無いから…
「お腹の具合がおかしいって事は、まださっきの薬が効いているって事だからね。ここでちゃんと出ちゃえば、またしなくても済むからね。僕は、一応準備だけしておくから。」
「う、うん…」
梓ちゃんは僕の言葉に頷いて、トイレに入った。その後で僕は白衣を纏ってから、診察室の奥にある処置室へと入った。さてと、浣腸は… …普通のディスポーザブルでいいかな? かなりお腹痛くなっちゃうけど… 僕は給湯器に火を入れて、お風呂のより少し熱めのお湯を計量カップに注いだ。そして薬棚の中からディスポーザブルの浣腸を取り出す。容量は… …普通の60mlで十分かな? その浣腸を計量カップに入れ適温に温めている間に、僕は処置室内にあるトイレを確認した。この処置室と隣のレントゲン室は5年前に増築した場所なので、設備も新しい。そのため、ここのトイレは洋式になっている。トイレットペーパーの量を確認し、蓋を上げて便座を下ろして、すぐに使える状態にしておく。ついでに、便座を消毒用のアルコールで拭いた。そこまで終わったときに、待合室のトイレのドアを開閉する音が聞こえてきた。
「梓ちゃん、こっちに来て。」
「あっ、うん。今行くから。」
しばらくすると、梓ちゃんが処置室の前までやって来て、処置室の中を覗き込んだ。
「どうだった?」
「…駄目だった…」
僕が訊ねると、梓ちゃんは恥ずかしそうにそう答えた。やっぱり出なかったか… そうすると、恥ずかしいとは思うけれど、浣腸してもらわないと…
「それじゃあ、やっちゃおっか。やり方教えてあげるから、こっちに来て。」
僕は、なるべく梓ちゃんに意識させないように、いつもの調子で話しかけた。しかし、梓ちゃんは怯えたように動かない。
「…梓ちゃん? どうしたの?」
「…やだ、何か怖い…」
そう答える声も震えていた。
「大丈夫だよ。安心して? 僕が梓ちゃんに酷い事すると思う?」
僕は、梓ちゃんを安心させるために、笑顔で答えた。しかし…
「と、友達の家がこの近くにあるの。その友達、昔病院で便秘の治療して、酷い目にあったって言ってたの。それって、もしかしてこの病院なの?」
突然、梓ちゃんがそんな事を聞いてきた。いきなりの質問に僕は驚いたが、それと同時に顔色が曇るのが分かった。梓ちゃんの質問は、あながち的外れでは無かったから…
「…昔って事は、まだその友達が子供の頃だよね? それだったら、確かにここの事かもしれない…」
「えっ?」
「ちょっと、その事について話そうか。」
僕は処置室から出て、診察室のベッドに腰を下ろした。梓ちゃんも僕の隣に腰を下ろす。そこで僕は、この病院の昔の事についての説明を始めた。
「ここには小児科も入っているんだけど、小児科の便秘の治療っていうと、大体浣腸なんだ。子供には、下剤は少し強すぎる場合が多いからね。」
「うん…」
「それで、子供に浣腸をする時なんだけど、汚れると悪いから、まずは下半身裸にしちゃうんだ。ズボンとかスカートとかパンツとかは全部脱がせてね。それで、ここのベッドの上で浣腸しちゃうんだ。」
「ここ、で…?」
「うん。今日は誰もいないけれど、普段は先生や看護婦さんだけじゃなくて、他の患者さんや付き添いの人もいるんだけどね…」
「でも、カーテンがあるから…」
梓ちゃんが、上を眺めながらそういった。ベッドを囲うように設置されたカーテンレールからは床までカーテンが下げられている。必要な時はベッドがそのまま個室として使えるように。しかし…
「このカーテンは、先月付けた物なんだよ。カーテンも衝立もないまま、周りから丸見えの状態で浣腸されちゃうんだ。」
「えっ!?」
「そして、ここで時間まで我慢させた後、トイレに行かせるんだ。結構ギリギリまで我慢させるから、そのままの格好で看護婦さんがお尻を押さえたまま、待合室のトイレまで連れて行くんだ。」
「そのままの格好って… …待合室?」
「うん。下半身裸のまま、他の人がいる待合室を通って… そして、トイレで出すんだけど、浣腸って苦しいから、充分出なかった時に、子供って誤魔化しちゃうんだ。そうさせない為に、看護婦さんが最後まで見ているんだ。」
「最後までって、その… …出してる間ずっと?…」
「うん、トイレのドアを開けっ放しで… 我慢が限界でトイレまで行けなさそうな時は、ここでお尻に便器を当てて出させちゃうんだ。その時も、特に隠すような事はしないから、周りから丸見えの状態で…」
「…」
梓ちゃんからの返事が返ってこなくなった。そして、一目で分かるくらいに顔色も悪くなっていた…
「どうも、『まだ子供なんだから恥ずかしくない』って思われていたみたいなんだ。まるっきり昔の考え方だけどね。」
「そんな… 酷すぎる…」
「それで、一番酷い話なんだけど… …小児科の範疇は、中学生までなんだ。つまり、15歳位までは子供扱いで、そういう治療をさせられちゃうんだ…」
「!?」
「年頃の子供にとっては辛いよね… 子供だけど子供じゃない、一番傷つきやすい頃だから… 女の子なら勿論、男の子でもそんな事されたら、かなり辛いはずだから…」
「…」
正直、辛そうな梓ちゃんを前にしてこの話をするのは、僕にとっても辛かった。それでも、僕は話し続けていた。怯えさせたいのではなく、今はそうじゃないんだって安心してもらいたくて…
「大学に入ってから、僕はここで時々手伝いをしているんだけど、その事に気が付いたのは8月の初めだった。小学校6年生の女の子が便秘の治療の為にやって来たんだ。そこで、そういう治療が行われて…」
…その女の子は、他の患者さんから丸見えの状態で下半身裸にされ、ベッドの上に四つん這いにされ、そのまま浣腸されていた。そのまま我慢させられて、そのままの格好で患者さんのいっぱいいる待合室にあるトイレに連れて行かれて、そのままの格好で連れ戻された。しかし、最初の浣腸で全然出なかったらしくて、今度は便器を当てられたまま浣腸されて、限界まで我慢させられて、そのまま他の患者さんの前で便器に… 便器の中身は、看護婦さんが待合室のトイレまで捨てに行き、その看護婦さんが戻る途中の待合室でその女の子は会計をしていた。会計に当たった看護婦さんから、周りの人に便秘で来たって分かるような事を言われながら…
「その夜、父さんと言い争ったんだ。『子供なんだからそんなに恥ずかしくない 早く治療して楽にしてあげるべきだ』という父さんと、『子供だって恥ずかしいんだ 相手が子供でも、プライバシーはちゃんと尊厳しなくちゃいけない』っていう僕の意見とぶつかっちゃってね。」
この診療所を開業する前は、父さんは長い間救急病棟にいた。患者さんの羞恥よりも救命を最優先とする戦場。加えて、昔は町医者でも羞恥よりも治療を優先する時代でもあったらしい。そんな環境に長年いた父さんと言い争っても、なかなか納得させる事は出来なかった。
「でも、証拠を見せたら、父さんも納得してくれたから。」
「…証拠?」
「僕はその頃、カルテの整理と薬とかの発注を主にやっていたんだけど、お尻に注射とか浣腸とか直腸診とか摘便とか… とにかく、そういう恥ずかしい治療を人前で受けた年頃の子供は、大体の場合もうここには来なくなっちゃうんだ。全員何年も風邪ひとつ引かないなんて事はあり得ないから、病院を換えちゃったって事だと思うんだ。それを話したら父さんも納得してくれて、ベッドにカーテンを付けたり、大人と同じように処置室で処理したり、他の患者さんにバレないようにするよう看護婦さんに教育をするようになったんだ。」
治療して完治した患者さんが二度と来院しなくなる。この事実を前に父さんは反論する言葉を無くし、ちゃんと分かってくれた。それからは、まだ完全とはいえないが、相手が子供でも患者さんのプライバシーを守る事を考慮してくれるようになった。
…不意に、僕の肩に何かが当たった。慌てて見てみると、梓ちゃんが僕の方にもたれかかっていた。
「…梓ちゃん?」
「良かった… この病院だって事否定してくれなかったから、不安だったんだ… でも、直君がそういう考えを持っていてくれて、良かった…」
僕は、昔していたみたいに、梓ちゃんの頭を撫でてあげた。僕が撫でるたびに、梓ちゃんの表情が和らいでいく…
「…もう大丈夫かな? 治療しちゃおうか?」
「うん、大丈夫…」
「それじゃあ、あっちの処置室でね。おいで?」
そうして、僕達は処置室へと入っていった。
・第四章 説明
処置室に入ると、梓ちゃんはキョロキョロと辺りを見回し始めた。僕は、部屋の説明も兼ねてこれからの方法を説明する事にした。
「まず、その奥の部屋だけど、トイレになってるから。」
僕のその言葉に、梓ちゃんはトイレまで歩いていってカーテンを開け、中を覗いた。
「ここだけ洋式なんだね。それに、結構広いね。」
「うん。レントゲン室と処置室は、5年前に建て増しした部分だから、まだ新しいんだ。あと、車椅子とか松葉杖の人でも楽に入れるように、ドアじゃなくてカーテンで仕切って、中も広くなってるんだ。」
一通りトイレの中を見た所で、梓ちゃんが戻ってきてベッドに腰を下ろした。僕は給湯器の所まで言って、さっきから温めていた浣腸を取り出した。予定より長時間お湯に浸けていたけど、お湯自体も冷めていたせいで、ちょうどよい温度になっていた。僕はその浣腸をタオルで拭いてから、梓ちゃんに渡した。
「はい。これが病院で使う浣腸だよ。」
「こ、これ…?」
おっかなびっくりといった感じで、梓ちゃんは浣腸を受け取った。確かに、さっき使っていた市販品とは大きさも形も大分違うから、戸惑って当然だろう。
「病院の浣腸って、注射器みたいなのだって思ってたんだけど…」
「梓ちゃん、浣腸器知ってるんだ。」
梓ちゃんの漏らした言葉に、僕はついそう訊ねてしまった。その途端、梓ちゃんはまた真っ赤になってしまった。
「…しょ、小学校の時の理科の実験で使った事あるから… …確か、空気圧の実験…」
「あっ、ごめん… 変な意味で言ったんじゃないからね? ついこの間まではその浣腸器を使っていたんだけど、扱いが面倒だし、壊れやすいし、消毒も大変だから、先月からこの使い捨てタイプに切り替えたんだ。薬代はちょっと高くなるけど、消毒とかの費用を考えると同じくらいになっちゃうから。それに、使い終わった後の処分も簡単だからね。」
僕って結構無神経かも… また梓ちゃんに恥ずかしい思いをさせてしまった… 再び梓ちゃんに恥ずかしい思いをさせてしまった事を後悔しながら、僕は梓ちゃんの隣に腰を下ろした。そして、身振り手振りを交えながら、使い方の説明を始めた。
「袋を開ける前に、一応使い方だけ説明するね。袋から出したら、チューブを上に向けたままで、ここのコネクタをカチッて鳴るまで回してね。それからチューブのここを持ってキャップを回しながらはずしてね。その時容器を持つと、薬がこぼれちゃうから気を付けてね。」
「う、うん…」
「準備が出来たら、トイレの中でいいから、屈んでお尻にゆっくりチューブを差し込んでね。差し込む深さだけど、ここの5って書いてある所位までは入れてね。ただし、10って書いてある所より深く入れないでね。それと、痛かったら無理しないで、ちょっと角度を変えて入れ直してね。心持ち後ろに向けて入れた方が入れやすいから。」
「あ、あの… 油みたいなのって、塗らなくてもいいの…?」
「大丈夫だよ。キャップを取ると、先端に潤滑剤が塗られているから。もし滑りが悪かったら、この潤滑剤をトイレットペーパーにちょっと出して、チューブとお尻に塗ってね。」
僕はそういいながら、チューブに入った潤滑剤を梓ちゃんに渡した。一応ここまでで説明は終わりだけど、もうひとつだけ言っておかないと…
「くれぐれも、深く入れすぎたり、無理して入れないでね。もしも腸を傷付けちゃうと、救急車を呼ばなくちゃいけなくなる場合もあるからね。後は普通の浣腸と同じで、お尻に入ったら、ゆっくりと容器を潰してからチューブを抜いて、お尻をトイレットペーパーで押さえてトイレに行ってね。出来るだけ我慢してから出しちゃえば終わりだから。」
「…こ、こんなに一杯入れるの…?」
梓ちゃんは浣腸の大きさに少し怖くなっちゃったのか、少し震える声で僕に聞いてきた。
「うん。市販の浣腸は最低限の量しか入っていないんだけど、病院の浣腸は十分な量が入っているから、大きめなんだよ。これ1個で、市販品2個分位の薬が入っているからね。薬の成分は市販品と同じだから、心配しないでね。」
「…それに、どうしてそんなに深くまで…」
「直腸の中で一番便意を感じる場所って、肛門のすぐ内側にあるんだ。そこから遠ければ遠いほど、要は深いほど便意を感じにくくなるんだ。だから、深い所に薬を入れると、便意が起こりにくくて、我慢しやすくなって良く効くからね。」
「…もし、もしも腸を傷付けちゃったら、どうなるの?…」
「軽傷の場合は、簡単に言うと切れ痔になっちゃうんだ。そうするとそこから薬が血管に入って、腎不全を起こしちゃう事があるんだよ。深く入れすぎた場合は、チューブが腸を突き破っちゃう事もあるんだ。どっちにしろ、すぐ救急車を呼ばなくちゃいけなくなっちゃうから。だから、入れる時は注意してね。あと、容器を勢い良く潰して、薬がすごい勢いで出た時も、水圧で傷が付いちゃう事もあるから、必ずゆっくり潰してね。」
「う、うん…」
ひょっとして、腸を傷付けるって言った事に対して怯えてるのかな? 確かに注意して貰わないといけない事だけど、ちょっと大げさに言い過ぎたのかもしれない。
「あと、汚さないように下は脱いじゃった方がいいと思うよ。全部終わるまで、僕はここから出てるから、心配しないでね。それと、何かあったら、このスイッチを押してね。インターフォンで外と話せるようになってるから。」
「う、うん…」
「それじゃあ、頑張ってね。」
僕は、梓ちゃんに再び浣腸を渡して、処置室から出て…
「ま、待って!」
「梓ちゃん?」
突然、梓ちゃんに大声で呼び止められた。 …どうしたんだろう?
「…その… …やっぱり、怖い… …この薬、アタシじゃあ危なくて使えそうにない…」
「大丈夫だよ。そんなに危ない薬じゃないから。ゆっくりと慎重にやれば大丈夫だからね。」
「…で、でも… …やっぱり、怖い…」
怖いと言われても、困ったな。まさか、僕がしてあげる訳にも行かないし… …そうだ、そういえば近くに薬局があったっけ。確か、神代薬局だったかな? あそこで市販の浣腸を買ってくれば…
「…それじゃあ、しょうがないね。近くに薬局があるから、市販の浣腸を買ってきてあげるよ。さっき梓ちゃんが使っていたのと同じのだから、それならひとりで使えるよね?」
市販の浣腸なら、ひとりで大丈夫だよね? 考えてみれば、初めから僕が買いに行ってあげれば良かっただけの事じゃなかったのかな? でも、梓ちゃんは首を横に振った。
「…お、お願い… …直君、アタシにその浣腸をして?…」
「えっ? で、でも…」
僕が梓ちゃんに浣腸をしてあげるって事は、さっきよりしっかり見られちゃって、もっと恥ずかしい思いをするって事なんだよ? それなのに…
「…いいの。もう、さっき見られちゃったんだから、これからちょっとくらい見られちゃっても…」
「…わ、分かったよ… …でも、極力見ないようにするから…」
「うん… ありがとう…」
真っ赤になってそういった僕に、同じく真っ赤になった梓ちゃんが返事をしてくれた。
梓ちゃんが浣腸を渡してくれたので、僕はそのまま受け取った。これから、僕がこれを梓ちゃんのお尻に… やっぱり、どうしても見えちゃうよね?… …見えちゃう? そこで僕は、この浣腸を選んだ時に考えていた事を思い出した。
「ねえ、梓ちゃん。量が少なくてお腹が痛くなっちゃう薬と、量が多くてお腹があんまり痛くならない薬と、どっちがいいかな?」
「えっ?」
僕の質問に、梓ちゃんが驚いて聞き返してきた。
「そ、そんなの有るの?」
「効き目の弱い薬を大量に使う方法があるんだよ。弱い薬だからお腹が痛くなりにくいけれど、量が多いから確実に効くんだよ。浣腸っていうより、お腹の中を洗うって言った方が近いかもね。」
低刺激性の薬を使った高圧浣腸。これなら、グリセリンみたいな腹痛は起こりにくい。僕が初めにこの浣腸を使うのを躊躇ったのは、イルリガートルを使うために準備が大変な事、見た目の恐怖感がかなりある事、そして患者さんがひとりで使用できない事、時間が掛かる事。つまり、これを他人に長時間使われる恐怖感と羞恥は、ディスポーザブルをひとりで使うそれを遙かに越えるから…
「も、もう… …そんなに良いのが有るんだったら、最初からそれを教えてくれてれば…」
「それがね、薬の量が多いから、道具が大がかりになっちゃうんだ。点滴をするような道具を使うんだけれども、とてもひとりで使えるような物じゃないんだ。つまり、それを使うんだったら、僕がしてあげなくちゃいけない訳で…」
「…ひょっとして、アタシにするの、嫌だった?…」
「えっ? そうじゃなくて、その間直接見られちゃう訳だから、絶対に嫌がると思ったんだ。それに、時間がかかる浣腸だから、恥ずかしい時間も長くなっちゃうから。でも、僕がしてあげるんだったら、これを使えるかなって思って… …それで、どっちにする?」
「…恥ずかしいけど、痛くない方がいい…」
梓ちゃんは、更に真っ赤になって、そうつぶやいた…
・第五章 治療
「うん、分かった。準備するから、ちょっと待っててね?」
僕は、そう言って部屋の奥に向かった。ガートルスタンドに、ガラス製のイルリガートルをぶら下げ、その下にビニールチューブを繋いだ。そして、腸カテーテルを取り出してその先に繋ごうとしたけれど、かなり変色変質していたために、新しいカテーテルを取り出して繋いだ。
「そ、それでするの…?」
「うん。このオレンジ色のチューブをお尻の中に入れると、点滴みたいに自動で入っていくからね。」
それから、チューブをピンチコックで挟んで塞ぎ、給湯器から計量カップにお湯を注ぎ、ガートルに並々と注いだ。
「そ、そんなに入れるの…?」
それを見ていた梓ちゃんが、不安そうな声を上げる。
「ああ、これね。大丈夫、器具を温めているだけだから。なるべくお腹に負担が掛からないように、お風呂よりちょっとぬるめ位に温めた薬を使うんだけど、器具が冷たいと冷めちゃうからね。実際に入れるのは、0.5リットルくらいだかね。」
「…それでも結構多いと思うけど、大丈夫なの?…」
「大丈夫だよ。普通に使われている量だからね。多めに入れた方が良く効くけど、苦しかったらすぐに止めるからね。」
僕はそう言いながら、梓ちゃんが腰掛けているベッドまで行き、ベッドの下から毛布と使い捨ての防水シーツを取り出した。シーツをベッドの下半分に掛けて、足下に毛布を置いて、次に薬棚へと向かった。薬用石鹸を使おうと思ったが、間違えて使ってはいけない石鹸もあるし、何より溶けにくいので、生理食塩水を使う事にした。既製の生理食塩水もあるが、温めるのに時間が掛かるため、お湯を使って作る事にした。塩化ナトリウムの瓶を取り出し、何回もラベルを確認してから、電子秤を使って9gを取り分ける。計量カップを秤に乗せてリセットしてから、さっき計量した塩化ナトリウムを入れて、丁度1kgに、なおかつ40℃になるようにお湯を注いでいった。
「…あれ? …0.5リットルじゃなかったの?」
「これで丁度1リットルなんだ。ちょうどいい量だから、調合もしやすいんだよ。それに、薬がいっぱいあった方が冷めにくいからね。」
「そ、そうなんだ…」
それから僕は、ガートルに繋がっているカテーテルの先端を流しに置いてから、ピンチコックを外して、保温用のお湯を捨てた。同時に水漏れのチェックを行ったが、それは大丈夫みたいだった。イルリガートルが空っぽになってから再びチューブにピンチコックをはめて、ガートルに生理食塩水を注ぎ、ちょっとだけピンチコックを外して、チューブとカテーテル内の気泡を抜いた。
「…さて、準備出来た。それじゃあ梓ちゃん、僕は部屋から出ているから、準備してくれるかな? 下半身裸になって、こっちを頭にしてベッドに仰向けになってね。その後で、腰まで毛布掛けちゃっても良いからね。」
「…う、うん…」
「それじゃあ、準備出来たら、インターフォンで教えてね。」
そう言って、僕は処置室から出た。そして、診察室の脇にあるヘッドセットを頭に着けた。元々はスピーカーとマイクだったけれど、処置室との会話が他の患者さんに聞こえないように、電気屋さんに頼んで直してもらったんだ。 …しばらくすると、処置室で通話ボタンを押された事を示すランプが点灯した。僕も、それを確認して通話ボタンを押す。
『…直君、あの…』
「梓ちゃん、もう良いかな?」
『…うん、準備出来たよ…』
「うん。これから行くからね。」
通話ボタンを切ってから、僕は治療用の手袋を着けて、処置室に向かった。梓ちゃんは、僕の指示通りに仰向けになっていた。これ以上無い位に真っ赤な顔をして…
「それじゃあ、早速やっちゃおうか。なるべく恥ずかしくないように、早めにするからね。」
「…うん…」
正直、僕もかなり緊張していた。顔が火照っているのが分かる。これから、その… …梓ちゃんのお尻を… …その考えを無理矢理頭の隅に追いやった。そう、医者が患者さんにこんな感情を抱いてはいけない。ただでさえ患者さんは恥ずかしいはずなんだから。
「まず、そのまま左向きになってね。そして、右の膝をちょっと前に出して。」
「…うん…」
梓ちゃんは、僕の指示通りにシムス位を取った。本当は膝胸位や砕石位を取った方が簡単なのだが、さすがに恥ずかしいだろうから、この格好で治療を行う事にした。
「次に、ちょっと右手を出してくれるかな?」
「…えっ? うん…」
「そして、ちょっとここを押さえていてね。」
「ひぁっ!?」
僕は梓ちゃんの右手を取って、毛布の上から陰部へと導いた。途端に、梓ちゃんが声を上げた。
「あっ、ごめん… ここをちゃんと押さえていれば、毛布が捲れ上がっても見えないと思ったから… ちゃんと言ってからすれば良かったね…」
「…ううん、大丈夫だから、謝らないで…」
「うん… …次は、お尻出すね。」
「…うん…」
その返事を待ってから、僕は毛布をめくって、梓ちゃんのお尻を出した。 …とうとう、はっきり見ちゃった… …駄目だ! 余計な事を考えないで、治療に集中しろ! 僕は、自分にそう言い聞かせた…
「次に、お尻に潤滑剤を塗るからね。ちょっと冷たいけれど、ビックリしないでね。 …それと、ちょっと触っちゃうけど…」
「…うん… …恥ずかしいけど、いいよ… うぁっ… ひゃっ!? くぁっ… うぅっ…」
僕は、右手の中指に潤滑剤を少し取り、左手で梓ちゃんのお尻を開いて、肛門に塗りつけた。僕の手が触れる度に、梓ちゃんの声が漏れる… …しばらく潤滑剤を塗った後で、僕は梓ちゃんから手を離した。そして潤滑剤を少し足して、カテーテルにも塗りつけた。
「それじゃあ、お尻にチューブを入れるからね。気持ち悪いと思うけど、我慢してね。」
「…あの、お尻にそんなの入れて、痛くないの?…」
「大丈夫だよ。太さは指より細いくらいだし、お尻にもチューブにもちゃんと潤滑剤塗ったから。でも、もし痛かったら、すぐに言ってね。」
「…う、うん…」
「それじゃあ、入れるね。」
「くぁっ… うぁっ!? う、うぁぁっ…」
僕は再び梓ちゃんのお尻を左手で開いて、カテーテルの先端を肛門に当てた。そして、右手にちょっと力を入れると、カテーテルはゆっくりと梓ちゃんの中に沈んでいった。 …そういえば…
「どう? ちゃんとお尻に入ってる?」
実習の時に習っていた。患者さんが女性の場合、必ず確認しなければいけない事…
「う、うん。大丈夫… …もしかして、変な手応えがあったとか?…」
「いや、大丈夫だよ。ただ、女性には間違った所に入っていないか、確認する決まりだから。」
「…ま、間違った所って… …ばっ、馬鹿!!」
その言葉の意味を理解した途端に、梓ちゃんは叫んでいた。普通にこんな事を聞けばセクハラだけど、実際に間違った事例があったらしいし、僕もまだ慣れていないから…
「ごめんね。でも、本当に間違えちゃうと悪いし…」
「…でも、あんなに見た目が違うのに、間違える筈無いじゃない… …直君だって、見た事あるんでしょ…」
「…いや、その… …まだ、見た事無いから…」
「…直君、女の人の… …その… …見た事、無いの?…」
「うん。ここでの手伝いは、事務と簡単な治療ばっかりだからね。傷の消毒とか、包帯を巻くとか。だから、そういうのを見ちゃうような治療は、まだしてないんだ。」
「そ、そうじゃ無くて… …その… …彼女、とかは?…」
「えっ? 彼女?」
突然、胸を突かれたような気がした。梓ちゃんにその事を言われるのは、少し辛い…
「うん、恋人… …大学生にもなれば、その… …エッチな事とか… …あ、あの…」
「その… …まだ、恋人はいないから…」
「そ、そうなんだ…」
…僕は、今まで誰とも付き合った事が無い。勿論、その後の事も一度もない。友達も半数は恋人がいて、残り半数も昔は恋人がいた。そして、早い人は中学生や高校生の時から…
「…やっぱり、変だと思う? この歳になって、大学生にもなって、その…」
「ううん… …ごめんね、変な事言っちゃって…」
「いいよ、気にしてないから。だから、梓ちゃんも気にしないでね?」
「うん…」
『…』
そして、沈黙が訪れた… …さすがに、ちょっと気まずい…
「…治療、続けてもいいかな?…」
「あ… …うん、続けて…」
「それじゃあ、もうちょっと奥まで入れるからね。」
「…うん… くぅぅっ…」
僕は再び右手に少し力を入れて、カテーテルを押し込んだ。最初の浣腸で少し出ていたのが幸いして、つっかえる事無くスムーズに入っていった。そして、10cm位挿入した所で、僕はカテーテルの挿入を止めた。
「…こ、こんなに奥まで…」
「初めにも言ったけど、奥まで入れると我慢しやすくなるんだよ。大体10cm位入ったからね。」
そう返事をしてから、僕は肛門から液面までの高さが50cmになる様に、ガートルの位置を調整した。その動きがカテーテルにも伝わっちゃったみたいで、梓ちゃんが微かに身体を震わせる…
「それじゃあ、これから薬を入れるからね。痛かったり、我慢出来そうになかったら、すぐに言ってね。」
「…う、うん…」
「それじゃあ、入れるよ。」
そして、僕は左手でカテーテルを持って、右手でピンチコックのロックを外して、薬液の注入を開始した…
「うあっ!? ぐぅっ… うぅっ…」
途端に、梓ちゃんが苦しそうに呻き声を上げた。僕は慌ててチューブを摘んで注入を止めた。
「うぁぁっ… …あっ?」
「梓ちゃん、大丈夫? 痛くない?」
「…痛くないけど、とっても気持ち悪かったから… …今のは、あんまり我慢出来そうに無いよ…」
「初めてだから、やっぱり気持ち悪いよね? もうちょっとゆっくり入れるようにするからね。」
「…うん、お願い…」
ピンチコックを再びロックしてから、僕は再びガートルの位置を調整してさっきよりも10cm程低くした。
「よし、これで… それじゃあ、また入れるからね。」
「…う、うん…」
「それじゃあ、入れるよ。」
「うぅっ…」
僕がピンチコックを外すと同時に、梓ちゃんはまた呻き声を上げた。でも、さっきよりは辛くなさそうだ。
「どう? 大丈夫?」
「うん、大丈夫… これ位なら、我慢出来るよ…」
「それじゃあ、しばらくそのままでいてね。ちょっとゆっくりだから、しばらく時間がかかっちゃうけど…」
「うん、大丈夫だから…」
『…』
その後、再び沈黙が訪れた。 …いくら何でも、無言は気まずいな…
「…ねえ、直君… …今、好きな人っているの?…」
そう思っていると、梓ちゃんがいきなりそう聞いてきた。 …梓ちゃんにその事を聞かれるのは少し辛いけど、梓ちゃんには誤魔化したくないから…
「…うん、いるよ。ずっと昔から、好きだって想っている人が…」
「…告白、しないの?…」
「…正直、少し怖いんだ… …その人にとって、僕は多分恋愛対象外だから… そういう梓ちゃんこそ、恋人とか好きな人はいるの?」
「うん… 恋人はいないけど、アタシもずっと昔から好きな人がいるの… アタシも怖くて告白できないけど… …その人も、アタシの事を恋愛対象として見てないと思うから…」
『…』
…そうか、やっぱりそういう人がいるんだ… …覚悟はしていたけど、やっぱりそう聞いちゃうと、ちょっと気まずいな…
「…今、どうかな? 痛かったり気持ち悪くない?」
「うん、大丈夫… お尻は気持ち悪いけど、お腹はじんわり温かくって、ちょっと気持ちいいかも… …あっ…」
「大丈夫、変な事じゃないから。お腹が気持ちいいって思っちゃう人も、結構いるみたいだからね。」
『…』
「…ねえ、さっき言ってた、チョクチョウシンとかテキベンって、何の事なの?…」
「直腸診って言うのはね、お尻の穴に指を入れて、中を調べる診察の事だよ。摘便は、浣腸しても出なかった時に、指でお尻の穴から掻き出す治療の事だよ。 …あっ、ごめん。変な事言っちゃって…」
「…ううん、いいよ… …聞いたの、アタシだし…」
『…』
…話せば話すほど気まずくなっていく… …ど、どうすればいいんだろう…
・第六章 後始末
「…ねえ、直君… …まだ、入れなくちゃ駄目?… …アタシ、そろそろまずいかも…」
「…えっ?」
しばらくして、梓ちゃんが突然そう聞いてきた。慌ててガートルを見ると、予定量を超えて、既にに0.7リットル位入っていた。 …しまった! 気まずいから視線を反らしていて、つい薬の量を確認するのを忘れてた!
「あっ、そろそろいいかな? それじゃあ、止めるよ。」
「…うん… うぁっ…」
でも、この量ならまだ許容範囲内だから… 僕は梓ちゃんに不安を与えないように、なるべく冷静を装って、ピンチコックを閉じた。
「それじゃあ、チューブを抜くからね。」
「…う、うん… くうぅっ… うぅっ… くぁっ!?」
そして、お尻に入っていたカテーテルをゆっくりと抜き取った。やはり、お尻の中で動くのは気持ち悪いだろう。抜き取る間、梓ちゃんはずっと呻き声を上げていた。
「…よし。それじゃあ、トイレに行っていいよ。僕は外に出てるからね。」
僕はそう言って、急いで処置室から出ようとした。梓ちゃんは今下半身裸だから、トイレに行く所なんて見られたくないよね? もし見ちゃえば、梓ちゃんの身体そのものが見えちゃうから。
「うぁっ!? くぅっ… うぅっ… …な、直君…」
「…梓ちゃん?」
処置室を出ようとする寸前に、呻き声と同時に呼び止められた。
「…も、もう出ちゃいそう… …どうしよう、動けない…」
「えっ!?」
やっぱり、0.2リットルオーバーはまずかった!?
「ちょ、ちょっと待って! もうちょっとだけ我慢してて!」
「…う、うん… …うぅっ…」
僕は慌てて、後ろの棚から便器を取り出した。金属製の一番大きいタイプ。本当は梓ちゃんの体型ならば、もっと小さいのでもいいんだけど、あれだけ薬が入っちゃったから一番大きいタイプを…
「梓ちゃん、これからお尻に容器を当てるから。ちょっと冷たいけど、ビックリしないでね。」
「…う、うん… …うぁっ…」
僕はそう断りを入れてから、毛布の上から梓ちゃんのお尻の位置に便器を当てた。金属の冷たさに、梓ちゃんが呻き声を上げる。本来ならば、まずお湯を入れて温めたり、後片付けを楽にするために底にトイレットペーパーを敷いたりするんだけど、今はさすがにそんな時間は無さそうだから…
「ちょっと、毛布を取るからね。見ないようにするから、心配しないでね?」
「…うん… …ひゃっ…」
僕は、毛布を梓ちゃんの足の方に引っ張って取り除き、便器とお尻を密着させた。便器があるために、梓ちゃんの陰部や肛門は見なくて済んだ…
「それじゃあ、このまま仰向けになってね。お尻の下に容器があるから、ちょっと苦しいと思うけど、もうちょっとだけ我慢してね。」
「…う、うん… …うぅっ… …くぁぁっ…」
そして、梓ちゃんの体制を仰向けに直してあげて、腰全体を覆うように毛布をかけ直してあげる。お尻の下に便器があるため、その高さ分だけお腹を反る事になり、また梓ちゃんが苦しげに呻いた。 …これで準備は出来た。後は…
「…よし。それじゃあ、このまま出しちゃっていいからね。」
「…えっ? …このまま、って?」
「今、お尻の下に便器を入れたから。このまま出しちゃっても大丈夫だよ。」
「えっ!?」
梓ちゃんが驚いてこっちを見た。さっきまで真っ赤だった顔が、更に赤くなっていく。 …やっぱり、こんなの恥ずかしくて辛いよね?… …でも…
「や、やだ… 恥ずかしいから… …お願い、トイレで…」
「ごめんね。恥ずかしいのは分かるけど、姿勢を直すだけで我慢出来ない程苦しいんだったら、どうやってもトイレには間に合わないから。」
「…そ、それに… …見られたくない…」
「大丈夫、僕は外にいるから。絶対に見ないから。」
「…う、うん… …分かった…」
「僕が出たら、ちょっと両膝を立ててね。そうした方が楽になるから。そ、それじゃあ、終わったらインターフォンで呼んでねっ!」
そこまで言い終わった後で、僕はダッシュで処置室を出て、ドアを後ろ手で閉めた。 …ごめん、梓ちゃん… …僕の不注意のせいで、あんなに恥ずかしい思いを…
…それからしばらくして、インターフォンの通話ランプが点灯した。僕はヘッドセットを着けて、スイッチを入れた。
『…直君…』
「梓ちゃん、どう? 具合悪くない? 大丈夫?」
『…うん、大丈夫…』
「それと、その… …どうだった?」
『…うん、その… …ちゃんと、出たから…』
「そうか、良かった…」
本当に良かった… お腹の具合も良くなったみたいだし、薬を入れすぎた影響もないみたいだし… …そうすると、後は…
「それじゃあ、これから片付けに行くから。」
『えっ? だ、駄目っ!』
「梓ちゃん?」
突然、梓ちゃんが悲鳴を上げた。 …どうしたんだろう?
『…今、見られたくないし、嗅がれたくない… …出来るだけ、アタシが片付けるから……』
…考えてみればそうだ。お尻や、出す所を見られるのと同様に、出した物を見られるのも恥ずかしいだろう。ましてや、女の子ならば尚更だ。
「…そ、そうだよね… …気が回らなくて、ごめん…」
『…ううん…』
「…それじゃあ、トイレットペーパーは枕元にあるから。それと、中身はそのままトイレに流しちゃっていいからね。便器はトイレットペーパーで軽く拭いて、トイレの横のポリバケツに入れておいてね。あと、トイレの中にある消臭スプレー、使っちゃっていいからね。」
『…うん… …ありがとう…』
インターフォンを切ってから、僕は悩んでいた。梓ちゃんは僕が薬を入れすぎた事に気が付いていない。そして、そのせいであんなに恥ずかしい思いをしたという事も知らない。なおかつ、薬を入れすぎた事での副作用等も起こっていない。 …僕が黙っていれば、僕が責められる事も無い…
しばらくして、処置室のドアが開く音がした。僕は、すぐに梓ちゃんの元へと駆け付けた。
「梓ちゃん、大丈夫?」
…梓ちゃんの目が赤くなっていた。まるで、泣いた後のように…
「…梓ちゃん?」
そして、僕と目が合った途端に、その瞳から涙が零れた。梓ちゃんはそのまま僕に抱きついて来て、僕の胸に顔を埋めた…
「…大丈夫?」
「…ごめんね… …少し、このままで…」
「…うん…」
僕は、梓ちゃんを軽く抱き返して、頭を撫でてあげた。ごめんね、こんなに恥ずかしい目に遭わせちゃって… …こんな梓ちゃんを見てしまった以上、もう黙っている事なんて出来ない… …たとえ、どんなに責められるとしても…
「…ごめんね。僕のせいで…」
「…何で、直君が謝るの?… …『僕のせい』って?…」
「…治療してる時、何となく気まずくて、ずっと薬棚を見ていたんだ。そうしたら、ちょっと薬が多く入っちゃって… …僕が気を付けていれば、あんなに恥ずかしい思いをさせなくて済んだのに… …本当にごめんね…」
…やっぱ、許してくれないよね?… …故意じゃなくても、不注意で、あんな目に遭わせちゃったんだから…
「…いいよ。怒ってないから… …直君、治療の時に気を遣ってくれてたの分かってるし、本当に痛く無かったから… …それに、スッキリしたし…」
…えっ? …怒ってないの? …ありがとう…
「…ありがとう、梓ちゃん…」
「アタシにも言わせて。直君、本当にありがとう… …もう、大丈夫だから。」
梓ちゃんは、そっと僕から離れた。そして、いつも通りの笑顔でそう言ってくれた。 …良かった、いつも通りの梓ちゃんに戻ってくれて…
「それじゃあ、ちょっと待っててね。道具を片付けて来るから。」
「うん。ここで待ってるから。」
そうして、僕は処置室へと入っていった。噎せ返る程の消臭剤の臭いと、微かに残っている梓ちゃんのお腹の中の臭い。僕はなるべくその事を気にしないようにして、後片付けを始めた。まずはポリバケツから便器を取り出す。やっぱり見られるが恥ずかしかったのか、念入りに拭き取られていた。ガートルに残っていた薬は流しに捨て、使った道具一式を洗剤で洗い、煮沸消毒器に入れて電源を入れた。そして、ベッドとトイレを元通りに直し、処置室を出た。
「…全部終わったよ。」
梓ちゃんは、ベッドに腰掛けたまま、真っ赤な顔で俯いていた。 …お尻に直接入れられたカテーテルや、直接出しちゃった便器。それを見られるのは、やっぱり恥ずかしいよね?… 僕はそのままベッドまで歩いて、梓ちゃんの隣に腰を下ろした。
・終章
「梓ちゃん、今さらだけど… …本当に、僕がやっちゃって良かったの?…」
「…えっ?」
僕がそう聞くと、梓ちゃんは少し驚いたように聞き返してきた。
「…だって、あんな恥ずかしい事…」
「うん… 恥ずかしかったけど、嫌じゃなかったから… だって、好きな人になら見られてもいいかなって思ってたから…」
好きな人になら、か… …でも、梓ちゃんは昔から好きな人がいるんだよね? 僕に心配させないために、そう言ってくれているんだよね?…
「…ありがとう。嘘でも嬉しいよ。 …本当だったら、すごく嬉しいけど…」
…その気持ちは分かっているつもりだったけど、一瞬、本音が漏れてしまった。
「…えっ? …そんな風に思っちゃ駄目だってば。だって、直君は昔から好きな人が…」
「いや、だから嬉しいんだけど… 梓ちゃんだって、昔からそんなに想っている人がいるのに、僕なんかが…」
「うん、直君だったから嬉しいの…」
『…』
「…あれ?」
「…えっ?」
…何か、話が噛み合わない。 …ひょっとして、僕は何か思い違いをしている?
「ちょ、ちょっと、頭の中整理させて…」
「ア、アタシもこんがらがってきたから…」
『…』
梓ちゃんは『好きな人になら〜』と言ってくれた。『昔からそんなに想っている人が〜』と言う問いかけに、『直君だったから嬉しい』と答えてくれた。 …直君だったから? …それじゃあ、梓ちゃんが好きな人って…
『…エェーッ!?』
僕と梓ちゃんは、同時に叫んでいた。そ、それじゃあ、梓ちゃんも僕と同じだった!? 片想いのつもりで、ずっと両想いだった!? 慌てて顔を上げると、梓ちゃんもちょうどこっちを向いたところだった。目と目が合って、動けない…
「…ぼ、僕は、ずっと昔から梓ちゃんの事が好きだった。ただ、ずっと従兄としか見てもらえないかと思っていたから…」
「ア、アタシもずっと昔から直君の事が… でも、やっぱり従妹以上に見てもらえないかもって…」
「…これからは、恋人としてもつき合ってくれないかな?…」
「う、うん… アタシも直君と恋人になりたい…」
梓ちゃんの瞳に、再び涙が滲む。そして、僕に抱きついて、僕の胸に顔を埋めた。僕は、梓ちゃんの頭を優しく撫でてあげた…
「…あの、直君… …恥ずかしいんだけど、お願いがあるんだ…」
「…何?」
「…今日の治療… …また便秘になっちゃったら、直君にしてほしい…」
「えっ!?」
今日の治療って… …あんなに恥ずかしい思いをしたばっかりなのに?…
「…やっぱり、自分でやるの、怖いから… …その、嫌だったら、無理には頼めないんだけど…」
「これ位の事嫌がっていたら、そんなの医者として失格だよ。それに、梓ちゃんがそこまで僕の事を信頼してくれている事、梓ちゃんを楽にしてあげられる事、その事の方がとっても嬉しいからね。」
「…直君、ありがとう…」
「ただ、今日と同じ治療は、ここに誰もいない時しかできないんだ。そんな機会は滅多に無いから、別の場所で、最初の使い捨ての薬になっちゃうけど…」
「…それでもいいよ。直君がしてくれるんだったら…」
「…梓ちゃん…」
「…直君…」
梓ちゃんが顔を上げて僕を見つめた。僕は梓ちゃんの頤に手を添え、僕の方を向かせ、ゆっくりと顔を近付けた。そして、ふたりで目を閉じて…
『…んっ…』
…生まれて初めての、柔らかい唇の感触。それを感じると同時に、梓ちゃんは僕を抱きしめた。僕も、梓ちゃんを優しく抱き返す。 …ずっと昔から好きだった人と、初めて好きになった人と、今やっと…
「…あっ?…」
突然、梓ちゃんが驚いたように唇を離した。 …どうしたんだろう?
「…ご、ごめん… …その…」
そう言いながら、梓ちゃんの顔が見る見る真っ赤になっていく。そして、何かを我慢するかのように、少し顔が歪んだ。 …ひょっとして、さっきの薬がまた効き出した?…
「うん、行っておいで。お腹が落ち着くまで、待っててあげるから。」
「…う、うん… …行って来る…」
梓ちゃんは慌てて僕から離れると、処置室に向かって駆け出して行った。 …告白、両想い、ファースト・キス。その直後に… …ちょっと慌ただしくなっちゃったけど、梓ちゃんと想いを確認する事が出来て、本当に良かった…
−終−
|
|