SPACE銀河 Library

作:水薙紫紋

即 効 薬

即効薬 第7話 心的外傷 Side-A


・序章
「いらっしゃいま… おお、来たか、青氏。」
「どうしたんだよ神城、突然呼び出して?」
「それは… おーい、こっち来ていいよー。」
「…は、はい…」
「この人が、青氏に話したい事があるんだって。」
「…わ、私、高山志乃と言います… …青鷺高校の1年生です…」
「…えっ? ええっと、俺は青木雅人です。滝城高校の2年生です。」
「…そ、その… …あの…」
「?」
「…言いにくいなら、僕から言ってあげようか?」
「…い、いえ… …自分で言わせて下さい…」
「…えーと、何かな?」
「…と、突然すみません… …先月、ここであなたとお会いしてから、あなたの事が、ずっと気になっていました…」
「…えっ?」
「…お、お願いします… …私と、付き合ってください…」
「え、え、え… ええーっ!?」
「…だ、駄目でしょうか?… …私なんかじゃ…」
「と、とと、とんでもない! 喜んでお付き合いさせて頂きます!」
「あ、ありがとうございます!」
『…』
『…』
『…』
『…』
「…とりあえず、そこでふたりで黙っててもどうにもならないし、喫茶店にでも行って来たら?」
「そ、そうだな… …それじゃあ、行こうか?」
「は、はい…」

 俺は青木雅人(あおき まさと)。現在、高校2年生。この薬局の神代とは、高校に入ってからの同級生であり、親友だ。今日は授業も部活も終わったし、後は楽器屋にでも寄って帰ろうかなと思っていた所に、突然神代からの呼び出しの電話が掛かって来た。何事かと思って神代薬局に行くと、そこには神代と見知らぬ女の子がいた。そして、その女の子からの突然の告白… 以前から恋人募集中だった俺は、突然の出来事に舞い上がってしまい、その場でOKを出してしまっていた。これで、俺もやっと恋が出来るんだ。 …そう、今度こそ…


・第一章 出会い
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
「え、ええっと、ブレンドを…」
「わ、私は、オレンジジュースを…」
「はい、ブレンドコーヒーとオレンジジュースですね。かしこまりました。少々お待ちください。」
『…』
『…』
 …結局、喫茶店に来ても、何も変わらなかった。緊張して、恥ずかしくて、顔が真っ赤になって、高山さんの顔を見る事が出来ないし、話しをする事も出来ない。高山さんも恥ずかしいのか、顔を伏せたままだ。 …ここは、男の俺から話しかけないと…
「ええと、高山さん…」
「はっ、はいっ!! …あっ…」
 俺が声を掛けると、高山さんは余程驚いたのか、店中に響き渡るような大声で返事をした。恥ずかしさのあまり、ふたりで周りを見回すと、さっきのウェイトレスさんが笑っていた。ちょうどさっきの注文の品が出来て、持って来ようとしてたみたいだ。あとは… …良かった、この店にいるのは、俺達だけだった…
「はい、ブレンドコーヒーとオレンジジュースになります。それでは、ごゆっくりどうぞ。」
 ウェイトレスさんは、さっきの注文の品を置いて、戻っていった。肩が微かに震えている所を見ると、一生懸命笑いを堪えているんだろう。 …ちょっと、恥ずかしいな…
「…あー、ビックリした…」
「…ご、ごめんなさい…」
「…あははっ…」
「…えへへ…」
 不思議と、さっきまでの緊張や恥ずかしさは吹き飛んでいて、自然に笑いがこみ上げて来た。
「さっきの話だけど、1ヶ月前に神城の店で会ったって?」
「覚えて無くても仕方無いかもしれません。会ったというより、見かけたといった方が正しいですから… ちょうど1ヶ月前になりますけど、あの薬局で、神城さんにリップクリームの場所を聞いていましたよね? その時、レジで会計をしてもらっていたのが私です…」
「ああ、あの時の…」
 俺は、その時の事を思い出そうと、天井を見つめた…

 …確かに、あれは1ヶ月前の事だった…
 あの日、俺は神代薬局へと向かっていた。店にいる神代とは、以前は帰りに一緒に遊びに行っていたりもしていた。『以前』というのは、今年の春、神代に彼女が出来たからだ。神代とその彼女は幼馴染み同士で、よく一緒に帰っているのを見かける。邪魔をしたくは無いので、神代と遊びに行く機会は減っていた。それでも、仲が悪くなった訳では無く、時々は遊びに出たりしている。買い物の後、彼女が店にいなかったら、少し雑談するか… そう思いながら、俺は神代薬局に入った。
「オーイ、神代、いるか?」
 声を掛けながら店に入ると、会計をしていたお客さんが、驚いたように真っ赤な顔をして振り返った。俺と同じ位の歳の女の子。その女の子と目があった瞬間、なぜか俺の心臓は跳ね上がり、固まってしまった。 …見覚えの無い制服を着ているから、うちの学校の生徒じゃないのかな? …あれ? でも、この女の子、どこかで見覚えが?…
「あ、青氏。今お客さんが来てるから、ちょっと待ってくれ。」
 神代の掛けてくれた声で、俺はやっと動く事が出来た。
「いや、リップクリームって何処かなと思ってさ。」
「ああ、それならあそこに。」
「サンキュー。」
 俺は、神代の示した棚へと向かった。最近の異常気象の影響か、ここの所やけに空気が乾燥していて、唇が荒れてしまっていたので、リップクリームを買いに来たんだ。たかだか唇と思われるかもしれないが、吹奏楽でトランペットを吹いている俺にとっては、大きなダメージだった。音が悪くなるばかりか、唇が割れてしまえば、吹く時の力で傷が広がり楽器の中が血だらけになってしまう事だってある。目的の商品はすぐに見つかった。大型店より若干高いが、そんな少額を気にしていても仕方が無いし、ここの売り上げにも貢献出来るかと思い、それを手に取った。
「…あ、あの…」
「…あっ! すみません。76円のお返しになります。お待たせして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。お大事にどうぞ。」
 再び通路に出ると、その女の子はちょうど会計を終えた所だった。神代がお釣りと商品を渡すと、その女の子は逃げるように店から出ていった。俺は、その女の子と入れ替わりに、神代の前に立ち、リップクリームを渡した。
「はい、これ頼む。」
「ああ。でも、リップクリームなんてどうするんだ?」
「唇に塗るに決まっているだろ。最近は空気が乾いて来て、唇が荒れやすいからな。」
「…お前、そういう趣味があったのか?…」
「…あのな、トランペッターにとって、唇は一番大切な場所なんだぞ? 気を使うに決まっているだろうが…」
 そんな事を話しながらも、俺の目は、さっきの女の子を追っていた。何故か、その女の子の事が気になって、仕方が無い… …確かに、見覚えがある顔だった。でも、一体何処で?…
「…」
「青氏?」
「…」
 パンッ!
「うわっ!?」
「どうしたんだ? ボーッとして…」
 突然、俺の顔の前で手が打ち鳴らされた。その音で我に返ると、神代が不思議そうな表情で、俺の事を見ていた。
「なあ、今の女の子って… …っと、そうだった。こういう事は聞いちゃいけないんだったよな。」
「ああ。もし聞かれても、絶対に教えられないけどね。」
 神代と知り合ってすぐの頃、どんなお客さんがどんな物を買っていくのかを、一度だけ聞いた事がある。けれど、神代は絶対に話さなかった。あの頃はそれを不満に思っていたが、ちゃんと神代が説明してくれたので、今ではその理由も理解出来る。
「でも、どうしたんだ? 一体…」
「いや、今の女の子、以前に会った事があるような…」
「…あのな、その口説き方、メチャクチャ古いぞ。それに、本人の目の前で言わないで、どうする?…」
 そんなつもりで言った訳では無かったのだが、神代の視線は冷たかった…

「…そうか、思い出したよ。あの時の女の子か…」
「その時から、青木さんの事が… …でも、その時はアオシと言うお名前だと思ってしまって、変わったお名前だなと…」
「まあ、神城は青氏としか呼ばないから、そう思われても仕方無いか…」
「それで、今日…さっきですけれど、青木さんの事を教えてもらおうと、神城薬局へ行ったんです… …お名前と住所を教えてもらって、お手紙を書こうとしたんですけれど、そのまま神城さんが、青木さんに電話を掛けて、『これからすぐ来るからね』って…」
「…あいつめ…」
『俺が言いたい事はひとつだ… 頼む! 女の子を紹介してくれ!』
 …俺が昔言った事、ちゃんと覚えていてくれたんだな…
「…あっ、神城さんの事、怒らないでください… …お名前と住所を聞いて手紙を書いても、私、青木さんに渡せるかどうか分からなかったんです…」
 俺のその言葉を怒っていると取ったのか、高山さんは慌ててそう言ってきた。 …でも、『渡せるかどうか分からなかった』って?…
「…? どうして?」
「もし… もし、もう彼女がいたら… もし、振られてしまったら… …そんな事ばかり考えてしまって…」
「そうか、そういう事ね…」
「…ひょっとして、もう彼女がいたりします?…」
「いや、大丈夫だよ。丁度と言うか何と言うか、恋人募集中だったから。」
「…良かった…」
「…そう言えば、俺たちは殆ど初対面で、まだお互いの事を何も知らないんだよね?」
「…やっぱり、私なんかでは駄目でしょうか?…」
「いや、そうじゃ無くて… まずは、お互いを知るところから始めない? 色々とお喋りとかしてさ?」
「…はい。私、青木さんの事、色々と知りたいです。」
「俺もだよ。高山さんの事、色々と知りたいから。」
「…それじゃあ早速ですけど、住んでいる所から教えてもらってもいいですか? 神城さんからは教えてもらえなかったから…」
「神城は、客の事は絶対に人に教えないからね… 俺は、白蒲町に住んでるよ。滝城高の学区ギリギリだけど。」
 そう答えてから、ふと不安になった。高山さんの通っている青鷺高は、かなり離れた所にある女子高だったはず。白蒲町から滝城高までは結構距離があるが、青鷺高は滝城高とは正反対の方向にあった筈だ。もしも、普段会えない位遠い所に住んでいたら…?
「本当ですか? 実は私も白蒲町なんです。青鷺高の学区ギリギリですけど… 意外と近くに住んでいたんですね?」
「良かったよ、本当に近くで… 青鷺高と聞いた時に、思いっきり遠かったらどうしようかと思ってたんだ。」
「あ、実は私も心配してました。滝城高って結構遠いから…」
「そう言えば、高城とはどういう知り合いなの?」
「いえ、高城さんと会ったのは、先月と今日の2回だけです。それなのに、ちゃんと紹介して頂いて…」
「そうか… …あれ? そう言えば何で白蒲町から神城の所まで買い物に? 結構遠いし、学校とも逆方向だし…」
 その途端、高山さんは真っ赤な顔をして俯いてしまった。 …しまった。わざわざ遠い薬局に買いに行ったって事は、人に知られると恥ずかしい買い物なのかもしれない。例えば、生理用品とか…
「…あ、ごめん… …デリカシー無いよな、俺って…」
「…い、いえ、大丈夫です… …そういえば青木さんは、トランペットを演奏なさるんですか?」
「…あれ? よく知ってるね。神城から聞いた?」
「いえ、先月お会いした時に、青木さんがトランペットが何とか言っていましたから… …でも、男の人で楽器を扱うって、珍しいですね?」
「確かに、この辺だと珍しいかもね。中学校の頃、吹奏楽部の先生に勧誘されてから、続けているんだ。そういえば、高山さんは部活は?」
「私は水泳部です。始めたのは今年からですけど…」
「水泳部? それじゃあ、今の季節は部活は無いの?」
「そんな事無いですよ。プールに入れない時期は、ずっと体育館でトレーニングです。これからの時期は、陸上部並みに体を動かすみたいです。」
「結構大変そうだね? こんなに寒い中、体を動かしても大丈夫なのかな?」
「はい、ちゃんと準備運動とかをしっかりやるみたいですから。そういえば、青木さんはスポーツとかは?」
「今のところ、部活で手一杯かな? 吹奏楽部でも、結構トレーニングはあるから。あまり知られていないけれど、腹筋と背筋と肺活量が無いと、良い音は出ないからね。」
「…少し意外でした。結構体格がいいから、自分から鍛えているのかなって思ってたんです。」
 俺達は、色々な事を話し続けていた。どんな事でもいいから、もっと高山さんの事を知りたい。高山さんにも俺の事を知ってもらいたい…

「…あっ、もうこんな時間…」
 …気が付くと、喫茶店に入ってから、もう3時間近く経っていて、辺りはもう真っ暗になっていた。こんなに長い時間、女の子と話していたのって、初めてだな…
「そうだね。そろそろ帰ろうか?」
「あ、はい… …その、よろしかったら、一緒に…」
「勿論、そのつもりだよ。」
 俺と高山さんは、一緒に白蒲町へと向かった。並んで歩いて、電車でも並んで座って、ずっと話しながら… …高山の家の方が駅に近かったので、そこで別れた。予想外な事に、高山さんの家は、俺の家のすぐ近くだった。
「ここが高山さんの家なんだ… 俺の家と結構近いよ。歩いて10分ちょっとの所だから。」
「えっ? そんなに近くなんですか?」
「うん。大通りに出て左に行って、スーパーの所で右に曲がってから左側の5軒目だから。ひょっとしたら、小中と同じ学校だったりしてね?」
「私は中学校1年生の夏に引っ越してきたので、一緒だったのは中学校の時ですね?」
「中学校の頃に一緒か… …お互い、全然気が付かなかったみたいだね?」
 俺と高山さんは、お互いに微笑んだ。それでいいんだ。昔知り合えなくても、今、恋人同士になれたんだから。しかし次の瞬間、高山さんの顔は、少し曇った…
「…あの、青木さん…」
「何?」
「…今日はずっとお喋りしていたんですけれど… …あの、改めて聞くのも何なんですが… …私と、本当に付き合ってもらえますか?…」
 …? どういう事なんだ? 付き合わないなんて、一言も言っていないのに…
「勿論だよ、これからもよろしくね。 …でも、どうしたの? 突然、そんな事…」
「…ごっ、ごめんなさい… …お喋りした結果、やっぱり駄目だったらと思って、不安で…」
「大丈夫だよ、心配しないでね…? 駄目どころか、高山さんの事を色々知って、ますます好きになっちゃっているんだから…」
「…私も、同じです… …だから、かえって不安になっちゃって…」
「大丈夫だから… …安心してね?」
「…あっ、青木さん…」
 俺は、高山さんを軽く抱き締めて、頭を撫でた。 …しまった。いきなりこんな事したら、嫌がられるんじゃ?… …しかし高山さんは、体の力を抜いて、俺に体を預けてくれた… …良かった。嫌じゃ無いみたいだ…
「それじゃあ、明後日は土曜日だから、デートしない? 朝9時に、ここに迎えに来るから。 …いいかな?」
「…は、はいっ! 楽しみにしています!」
「それじゃあ、おやすみ。また明後日ね?」
「はい、おやすみなさい。また明後日…」
 …良かった、本当に恋人同士になれて… …良かった、嫌がられなくて… …明後日のデート、とっても楽しみだな…

 …しかし、高山さんはデート当日に風邪を引いてしまい、デートは中止になってしまった。電話の声からして、凄く具合が悪そうだった。楽しみにしていたんだけどな… 俺はデートに行く代わりに、高山さんのお見舞いに行った。高山さんは凄く喜んでくれて、ふたりでずっと話し続けていた。途中から高山さんは眠くなったみたいだったので、寝付くまでのつもりで手を握ってあげていた… …気が付くと、俺も一緒に眠ってしまっていたみたいだった。高山さんの手を握ったまま、肩には毛布が掛けられていた。どうやら、高山さんのお母さんが帰ってきて、俺達の事を見つけて、毛布を掛けていってくれたみたいだ。その日は、高山さんのお母さんに自己紹介をして、お礼を言ってから家に帰った。

 翌日、元気になった高山さんからお礼の電話が掛かって来た。しかし、今度は俺が風邪で寝込んでしまっていた… …高山さんの風邪が移っちゃったのかな?… そうしたら、高山さんは慌ててお見舞いに来てくれた。そして昨日の俺のように、ベッドの横に腰を下ろして、話し相手になってくれた。高山さんのためにも、早く元気にならないとな…

 そして月曜日。俺の風邪は完全に治っていた。学校へ行くために駅へ向かう途中に、ちょっと脇道に入って高山さんの家に向かった。そうすると、ちょうど高山さんが出てくる所だった。これからは毎日、こうやって一緒に駅まで行く事が出来るんだ… 俺達は、次のデートの約束をしてから、それぞれの学校に向かった。

 それから、高山さんとは時間が出来る度に、何度もデートを繰り返した。その度に、高山さんの事が更に好きになっていった。高山さんの事で頭が一杯で、高山さんがいない毎日なんて考えられない! そうして、高山さんと付き合い始めて、1ヶ月が経とうとしていた…

 12月23日。今日は祝日なので、いつもの様にデートをしていた。明日は終業式で、クリスマス・イブで、なおかつ俺達が付き合ってからちょうど1ヶ月の記念日。
「明日はクリスマス・イブか… 俺達が付き合ってから、ちょうど1ヶ月だね。」
「うん。こんな素敵な日が重なるなんて、神城さんに感謝しないとね?」
「神城に?」
「うん… …あの日、神城さんがすぐに青木さんを呼んでくれなかったら、恋人1ヶ月目の記念日は、もっと後になっちゃってたから…」
 …ひょっとして、神代はこの日に合わせる事も含めて、急いで俺を呼び出したのか?…
「確かにそうだね。神城には感謝しないと…」
「それで、あの… …明日のデートの後、私の部屋に寄ってもらえますか?…」
「…えっ?…」
 クリスマス・イブの夜に、高山さんの部屋へ… …それって、まさか…
「…あっ! べ、別に、その… …エッチな事… …とかじゃないから… …ただ、一緒にいたいから…」
 その言葉に、先走っていた俺は少しガックリ来た。でも、これでいいんだ。俺と高山さんの時間は、まだまだ長いんだ。焦って無理するよりも、お互いが無理をしなくなるまで待っていた方が… …そう、俺と高山さんの時間は、まだまだ長いんだ…
「…うん、いいよ… …俺も、高山さんと一緒にいたいから…」
「…うん、ありがとう…」


・第二章 悪夢
 …そして、待ちに待ったクリスマス・イブのデート。俺達は少し早めの時間にレストランでクリスマス・ディナーを楽しんでから、高山さんの家に向かう。その途中にちょっと寄り道して、高台にある公園に立ち寄った。ここからだと、町中のイルミネーションが見渡せる。その光景は、まるで本当の星空と地上の星空に挟まれている様な… 空が晴れ渡っているためホワイト・クリスマスにはならなかったが、今の光景はそれに勝るほど幻想的だった。
「綺麗…」
 そう呟く高山さんの肩にそっと手を置き、静かに抱き寄せる。肩と肩が触れ合い、視線が絡み合う。そして、お互いの顔が近付き…
「別れましょう、私達。」
「…えっ!?」
 突然の高山さんの一言に、俺の頭の中は真っ白になっていた。 …今、何て言ったの!?
「…冗談、だよね?… …高山さん?…」
「いいえ、本気よ。」
「…俺、何か気に障るような事した?… …そんな突然…」
「気に障るような事は感じてたわ。それも、付き合い始めてからずっと。」
「…他に、好きな人が出来たの?… …俺の事、嫌いになった?…」
「青木さんは、心の中では初恋の人の事を見続けているから。私だけを見てくれていないから。」
 高山さんの言葉に、俺の頭の中に、あの女の子の事が映し出される。あの時の事が、そのまま鮮明に… …駄目だ! 俺は必死になって、頭の中からあの女の子の事を追い払った。俺は、高山さんだけを見ていたいんだ!
「ほら、今もその人の事を想ってる。やっぱり、私なんかじゃ駄目なのね。」
「そんな、そんな事無いよ… 俺は、高山さんだけを…」
「さよなら。」
 高山さんは、俺に反論する暇すら与えずに、身を翻して人混みに消えた。
「高山さん!?」
 慌てて追いかけたけど、その姿は一瞬で見えなくなった。いくら探しても、見つけられない… そんな、また… もう、吹っ切れているはずなのに… 俺は、まだあの子の事を引き摺っているのか… 今度こそ、高山さんとなら、大丈夫だと思っていたのに… 高山さんだけを、見続けていたいのに… こんな、こんな事って…

「…嘘だ!!」
 叫ぶと同時に、俺はベッドから跳ね起きた。 …ベッド? …あれ? …俺の部屋? 俺は慌てて時計を確認した。時計に付いているカレンダーは、間違いなく12月24日を指していた。
「…夢、か… …俺は、まだあの子の事を…」
 …俺は、今まで女の子と1ヶ月以上付き合った事が無かった。原因は俺にある。そんな事は分かっている。でも、どうしようも無い…
「…あんなに昔の事なのに… …何で、吹っ切る事が出来ないんだ…」
 3年前の初恋。それも、事故と言っていい位の衝撃的な出会い… 名前すら知らない、その女の子の事が頭から離れなくて、その事を今までの恋人に見透かされて、別れられていた…
「…」
 俺は、再び時計のカレンダーを確認する。高山さんと付き合い始めて、ちょうど1ヶ月目の記念日。ずっと遠ざけたくて、早く無事に過ぎ去って欲しい日…
「…大丈夫だ… …高山さんとなら、絶対大丈夫だ…」

「高山さーん。」
「あっ、ちょっと待ってて。今行くから。」
 そして夕方。俺は、約束の時間の10分前に高山さんの家に迎えに行った。高山さんは笑顔で家から出て来て… …? …一瞬だけ、顔が曇った?…
「どうしたの? 高山さん…」
「あ、うん、何でも無いよ… …それじゃあ、行こっか!」
「うん、思いっきり楽しもうね。」
 …ふたりであちこち歩いて、少し早めの時間にレストランでクリスマス・ディナーを楽しんで、イルミネーションの中を並んで歩いて… …高山さんは、いつも以上にはしゃいでいた。良かった、楽しそうで… …でも、その姿を見ているうちに、何か違和感と不安を感じるようになって来た。 …ひょっとして、無理してはしゃいでる?… …いや、そんな事は無い、気のせいだ。あんな夢を見たから、俺が少し不安になってるだけだ。高山さんも俺もこんなに愛し合って、楽しんでるんだ。別れるなんて事になる筈無いじゃないか!
「…青木さん、そろそろ…」
「…うん、高山さんの部屋に行こうか… …でも、約束通り、エッチな事はしないからね…」
「…うん…」
 …そうして俺達は、高山さんの家へと向かった…


・第三章 試練
「さあ、入って。」
「こんばんわ、お邪魔します。」
「あっ、今、私達しかいないから…」
「えっ? お父さんとお母さんは?」
「両方とも仕事なの。青木さん、『ツー・ラビッツ』っていうお店、知ってる?」
「えーと… 確か、ケーキで有名なお店だよね?」
「うん。お父さんとお母さん、そこで働いてるの。1年の中で、今日が一番忙しい日だから…」
 『ツー・ラビッツ』… …確か、白と茶色の2羽の野兎がトレードマークの洋菓子店で、生クリームとチョコレートのケーキが美味しいって有名な店だったと思う。毎年、クリスマスは予約で一杯で、その前々日あたりから、準備のため開店も出来ないという人気店… そうすると、ご両親がそこで働いていて、高山さんはひとりっ子だから…
「…それじゃあ、今までイブは、ずっとひとりで?…」
「ううん、友達とパーティーしてたから… …それに、お仕事忙しいのは分かっていたから、大丈夫だったの… …それに、イブじゃなくて、毎年クリスマスに家族でパーティーしてたから…」
 …だからなのかな? 俺を部屋に呼んでくれたのは… …クリスマス・イブに、家の中でひとりぼっちなんて、寂しすぎるから… …でも、今日は…
「…今日は俺が一緒だから、高山さんひとりじゃないんだよ? だから、思いっきり楽しもうね?」
「…」
 …? …高山さんの顔が、一瞬だけ曇った… …どうしたんだろう? 出かける時といい、今といい…
「…高山さん?」
「…あっ! ううん、何でもないの… …それじゃあ、私の部屋に…」
「うん、行こうか。」
 俺達は階段を上がって、高山さんの部屋に入った。ここに来るのは、まだ2回目だ。デートはいつも、あちこち遊びに行っていたから…
「確か、前にお見舞いに来た時以来だったよね? 俺がこの部屋に来たのって。」
「別れましょう、私達。」
「…えっ!?」
 突然の高山さんの一言に、俺の頭の中は真っ白になっていた。 …今、何て言ったの!?
「…冗談、だよね?… …高山さん?…」
「いいえ、本気よ。」
 …そんな… …これは、今朝の夢と全く同じ… …夢と同じく、高山さんとは終わってしまうのか?… …あれは予知夢、正夢だったのか?…
「…俺、何か気に障るような事した?… …そんな突然…」
「気に障るような事は何もしていないわ。それに、今朝から考えていたの。」
 …いや、夢と全く同じじゃない?… …でも、だったら何で…
「…他に、好きな人が出来たの?… …俺の事、嫌いになった?…」
「いいえ、他に好きな人はいないわ。青木さんが大好きなままよ。」
「…じゃあ、どうしてだよ!? どうしてそんな事が言えるんだよ!? お互いに好きあっているのに、何で別れなくちゃいけないんだよ!?」
 高山さんのその言葉に、俺は思わず大声で叫んでいた。目が涙で滲んで、視界が歪む…
「青木さんは何も悪くない。私も青木さんが大好き。ただ、青木さんは… …いえ、誰も、私をずっと愛し続ける事なんて出来ないから。」
「…高山さん?…」
 …愛し続ける事が出来ない?… …それって、どういう事?…
「だから今のうちに、もっとお互いが好きになる前に別れちゃいましょうよ。」
「そんな事は無い! 俺は高山さんが大好きだ! 嫌いになるなんて、そんな事は絶対に無い!」
 俺は再び叫んでいた。どうして… どうしてこんなに好きなのに、愛しているのに、信じてくれないんだ!?
「それは、青木さんが本当の私を知らないから、そう言えるのよ。」
「…本当の、高山さん?…」
「そう。普段の私じゃなくて、本当の私。」
「…何も変わらないよ… …高山さんは高山さんだよ。本当も嘘もあるもんか… …たとえ普段と違ったとしても、俺は高山さんを愛し続けられるから… …頼むから、俺を信じて…」
「そう… それじゃあ、証明して。」
「証明…?」
 高山さんは机の抽斗を開けて、何かを取り出した。そして、それを俺に渡した。
「…これって…」
 それは、3個の小さな塊だった。透明な袋に入った歪んだ楕円形のピンクの塊で、一方から細長い棒が突き出していた。そして、その袋と塊には『浣腸』という文字が… …ま、まさか…
「それを、今すぐここで私に使って。」
 どういう事…? 『私に使って』って、俺が高山さんに浣腸を…? 俺が、これを高山さんのお尻に…? そんな恥ずかしい事を、男の俺に…?
「…いいよ。高山さんがそれを望むなら…」
 気が付くと、俺はそう言って、肯いていた。 …でも、これって、どうやって使えばいいんだ?…
「…でも、俺、使った事が無いから、どうしたらいいか分からない…」
「大丈夫。私の言う通りにして。」
 高山さんはそう言って、ベッドの下からトイレットペーパーを取り出した。
「袋から取り出して、キャップも取って。そう、3個とも。」
 俺は、高山さんの言葉に従って、袋から中身を取り出してキャップを外し、ベッドの上に並べて置いた。
「細長い部分、お尻に入れる場所をしゃぶって。唾を付けて、滑りを良くして。」
「…う、うん…」
 この細長い所が、これから高山さんのお尻の穴に… 俺は細長い部分を口に含み、舌でていねいに唾を塗り付けていった… 最後のひとつを口に含んだ時、口の中に微かに甘みが広がった様な気がした… 俺がみっつとも舐め終えると、高山さんは何の躊躇もなくスカートを脱いで、ベッドの上に放り投げた。同じ様に、ストッキングもパンティも…
「…た、高山さん…」
「こうしないと、出来ないでしょ?」
 微かに震える声で呼び掛ける俺に、高山さんは平然と答えた。大事な場所を隠そうともしないで… …それから高山さんは俯せになって、お尻を高々と上げて、両手でお尻を開いた。俺の目に、高山さんの大事な所と、お尻の穴が、飛び込んできた… …何で、そんな事をするの?… …エッチな事はしないってお互いに言っていたのに、自分からこんな事を…
「それじゃあ、まず1個。さっきしゃぶってた部分を、私のお尻に入れて。」
「…うん… …いい? 入れるよ?…」
「…うっ… …うぁっ…」
 俺は浣腸をひとつ手に取って、その先端を高山さんのお尻に当てた。そして、ゆっくりと差し込んでいった… …あまりの事に、手が震えるのを止める事が出来ない…
「…奥まで入ったよ…」
「そしたら、容器を潰して、薬を私の中に入れて。 …んんっ… 手を緩めると容器に逆流しちゃうから、しっかりと潰して。」
 俺はその言葉に従って、浣腸をゆっくりと潰した… …しかし、思いの外容器が固く、薬を全部入れる事は出来なかった…
「…駄目だ、上手く潰れない… …全部入らないよ…」
「薬が残っちゃったら、いったん抜いて、膨らましてからもう1回入れ直して。」
「…分かったよ…」
「…んぁっ… …くぅっ…」
 高山さんのお尻から浣腸をゆっくりと引き抜き、両手で浣腸を膨らませ、再びゆっくりと差し入れてゆっくりと潰した… …今度は、ちゃんと全部入ったみたいだ…
「…全部、入ったよ?…」
「そしたら、残り2個も同じように全部入れて。もう効き始めちゃってるから、急いで。いちいち、確認しなくてもいいから。」
「…分かったよ。 …続けていくよ?…」
「…くぁっ… …うぅっ… …んぁっ… …くぅっ…」
 高山さんのお尻に、差し入れて、潰して、引き抜き、膨らませ、差し入れて… 俺は、残りの浣腸が完全に空になるまで、その動作を繰り返した。そうしている間も、薬の効き目は強くなっているみたいで、高山さんの呻き声は、段々と辛そうな声に変わっていった…
「…全部、入れ終わったよ…」
「…くぅっ…」
「…大丈夫?…」
 心配して問い掛ける俺に、理奈さんはトイレットペーパーを突き付けた。
「こ、これで… …私のお尻の穴、押さえて… …も、漏れないように、しっかり…」
 お尻の穴を押さえる、って… …それって、トイレットペーパー越しとはいえ、高山さんのお尻に触っちゃうって事… …本当に、良いんだね?…
「…いいよ… …じゃあ、押さえるからね?…」
「くぁっ!」
「高山さん、本当に大丈夫?」
「う、うん…」
 トイレットペーパーと俺の指が高山さんのお尻の穴に触れた途端、高山さんは苦しそうな声を上げた。けれど俺は、絶対に洩れないように、しっかりとお尻の穴を押さえた…
「高山さん、無理しないで、トイレに行こうよ? ちゃんと押さえててあげるから…」
「…青木さん… …ちょっと動くから…」
「うん。ちゃんと押さえているから、大丈夫だよ。」
 俺の言葉に、高山さんはゆっくりと体を起こした。良かった… …しかし、苦しさで余り動けないのか、しゃがみ込んだ姿勢のまま、動かなくなってしまった…
「高山さん、動ける? 大丈夫? しっかりして?」
 心配して声を掛けたが、返事は無かった。立ち上がる気配も無い… …ひょっとして、もう限界なの? だとしたら、どうすれば… 高山さんは、そのままベッドの下に手を伸ばして、洗面器を取り出した。 …洗面器?… そして、それをお尻の下に置いた。 …ま、まさか…
「た、高山さん…」
 俺の声は、震えていた… …これは、もしもの為の備え?… …それとも、初めからそのつもりで?…
「…私のお尻を見ていて… …絶対に、目を反らさないで…」
 み、見ていて、って… この後待ち受けているのは、女の子にとって… …いや、たとえ男であっても、普通なら誰にも見られたくない恥ずかしい事… …ひょっとして、もう限界になって、自棄になっているの?…
「…う、うん… …でも、本当にいいの?… …もう動けなくて、見られるのが嫌なら、俺は部屋の外に…」
「駄目! ちゃんと最後まで見てて!」
 俺の言葉を、高山さんは強い調子で遮った。
「…分かったよ… …高山さんがそれを望むなら…」
「…うぅっ… …くぁっ… …うぁっ…」
 俺は、そう言って肯くしかなかった。 …このまま待っていれば、俺が見てしまう物は… …でも、本当に高山さんがそれを望むのなら… …俺も、高山さんのだったら、我慢出来ると思うから…
「…もう、いいよ… …手、離して… …でも、ちゃんと見てて…」
 本当に限界に達したのか、高山さんは辛そうな声で、そう言って来た。これから、遂に… その言葉に、俺も覚悟を決めた。
「うん、ちゃんと見てるから… …それじゃあ、離すよ?…」
「…うん… うあぁっ! くぅっ!」
 俺が手を離すと同時に、高山さんは洗面器に出してしまった。お尻からも、前からも… 洗面器の中に、茶色い水と茶色い泥と、黄色い水が溜まっていく。そして、部屋中に異臭が立ち込めた…
「…高山さん… …大丈夫?… …まだ、お腹痛い?…」
 まだ、高山さんは出している途中だったが、あまりの苦しそうな素振りに、俺はそう声を掛けていた…
 …しばらくして、高山さんの動きが止まる。お腹の中身を全て出し切ったみたいだった。
「全部出た? もう苦しくない?」
 俺は、そう声を掛けていた。不思議と、洗面器に溜まった泥水に対して、汚いとは感じていなかった。辺りの臭いも、全然気にならなかった。そんな事よりも、高山さんの事が心配だったから… そして高山さんは、お尻を少し持ち上げた…
「もう、全部出たわ。今度は、私のお尻を拭いて。丁寧に、綺麗にね。」
 高山さんは、俺を挑発するかのように、そう言った。
「うん、いいよ。もう少し、お尻を上げて?」
 俺のその言葉に、高山さんは一瞬驚いたようだった。そして、俺の言葉に従って、少しお尻を上げた。俺は、右手にトイレットペーパーを持って…
「ふぁっ!」
「大丈夫? 痛かった?」
「う、ううん、大丈夫… …んんっ…」
 トイレットペーパー越しに、高山さんのお尻の温かさと柔らかさを感じる。それと同時に、お尻とは違う湿った温かさと柔らかさも… それでも、それを汚いとは感じなかった。普通ならば、自分の物でも汚いと感じてしまうのに… …ひょっとしたら、高山さんのだから、汚いって感じないのかな?…
「それじゃあ、前も拭くよ? …いい?」
「うん、お願い… ひぁっ!」
 そして俺は、新しいトイレットペーパーを持って、高山さんの大事な場所に手を伸ばした。ただ、どこを拭けばいいのかよく分からないので、大きめに切ったペーパーで、全体を優しく押さえた。その時、ペーパー越しにヌルッとした感触が… …えっ?… …まさか…
「…はい、綺麗になったよ?」
「そしたら、この洗面器の中身を捨てて、綺麗に洗って来て。」
 次に出た言葉は、さっきまでよりも衝撃的な言葉だった。洗面器を洗う為には、ペーパー越しなどでは無く、最後には直説手で触れなければいけないという事だから… …でも…
「いいよ。トイレとお風呂場を貸してね? 洗面器が大きくて、洗面台じゃ洗いにくいから…」
 …でも、俺は普通にそう答える事が出来た。その言葉に、また高山さんは驚いたようだった。そして、洗面器を持って高山さんの部屋を出た。1階のトイレで中身を捨て、トイレットペーパーで奇麗に拭き取る。次にお風呂場でシャワーを使い、ザッと洗い流した後、ボディーソープを手に取り、素手で良く洗った。さっきまでと同じく、全く汚いとは思わなかった。3回程洗って濯いでを繰り返し、完全に奇麗になった洗面器を持って、高山さんの部屋へと戻った。 …これで、いつもの高山さんに戻ってくれるかな?… …これで試していたのなら、俺の事を信じてくれるかな?… …俺の事、嫌わないでいてくれるかな…

「どう? これが本当の私… 高山志乃よ。」
 …しかし、事態は先程と何も変わっていなかった。高山さんは、嫌らしい笑みを浮かべ、俺にそう言い放った。さっきのままの格好…下半身裸…のままで、何も隠そうともせずに、椅子に座って足を組んで…
「…高山さん…」
「これが私の本当の姿。こんな汚い私と、付き合えるって言うの? 別れないって言い切れるの? そんな事、絶対にあり得ないよね?」
「…そんな事無いよ… …俺は高山さんが好きだ… …今も、そしてこれからも…」
 …どうしたら、どうしたら俺の事を信じてくれるんだ?… …一体、どうしたら… …俺は、こんなにも高山さんの事が大好きなのに…
「本当にそうかしら? さっきから私が見せた事、無理矢理やらせた後始末、本当は汚くて嫌だったんでしょ?」
「そ、そんな…」
「辛かったんでしょ? 嘘言わなくても、顔に出てるわよ?」
 その言葉に、俺は気が付いた。この部屋に来てから、確かに俺は辛さを感じていた。しかしそれは、高山さんが見せた事、その後始末の事では無い。汚いなんて、全然感じていなかったのだから… 別れ話の事、俺を信じてくれていない事だけでは無い。確かにそれも辛いけれど、それよりも…
「…ああ、確かに辛いよ…」
 それが分かった瞬間、俺はそう答えていた。俺のその言葉に、高山さんが勝ち誇る…
「そうでしょ? こんな変態と付き合える訳無いもんね? だから、もう別れようよ。」
「違う、そうじゃない… …高山さんがわざと自分を傷付けているのを見ているのが、辛いんだ…」
「っ!? な、何を…」
 高山さんだって、俺と別れたい訳じゃ無い。それなのに、敢えて俺に嫌われる為に、自分を傷付けてまで、思い切り嫌な自分を演じている。その事が何よりも辛かったんだ。俺のその言葉に、高山さんは驚き、涙が頬を伝う… そして、自分が泣いている事にも驚いたようだった…
「もう、やめようよ、こんな事… 無理矢理、自分を傷付けるのは… 何があろうと、俺は、高山さんの事、愛してるから…」
「…なんで? そんな…」
 高山さんの顔に、少しずつ安心と喜びが広がっていく… そして、いつもの高山さんに戻っていく… そして、俺に微笑み掛け…
「…ううん、絶対に… …絶対にそんな事有り得ないっ!」
 その言葉と同時に、高山さんの態度が一変した。いつもの高山さんに戻り掛けていたのに、またさっきまでの高山さんに戻ってしまったかのようだった。俺を怖い顔で睨み付け、椅子から立ち上がり、俺から逃げるように後ずさる…
「高山さんっ!」
「い、嫌ぁっ! 離してぇっ!」
 次の瞬間、俺は思わず高山さんに駆け寄り、抱き締めていた。高山さんは俺から逃れようと、必死に藻掻き始めた。普段からは考えられない程の力だったが、俺は高山さんを離さなかった。
「酒井君は話を聞いただけで逃げていった! 西田さんは目も会わせず『変態』って蔑んだ! 目黒君は『汚ねぇっ』って殴りつけた! 青木さんだっていつか絶対にそうなるっ! こんな私を愛し続けられる筈が無いっ! これ以上好きになると別れる時もっと辛いから、お願いだから今のうちに別れてぇっ! んむっ!?」
 俺は強引に、高山さんの唇を俺の唇で塞いだ。そして、さっきよりも強く抱き締める。高山さんは俺の腕の中で藻掻き続ける。頭を動かした時に高山さんの歯が俺の唇に当たり、痛みが走る。だけど、俺はそのまま抱き締め続けた…
『…』
 …何時しか、理奈さんは藻掻くのを止めていた… 体からも唇からも力が抜け、俺に体を預けてくれている…
『…』
 …それから俺は、高山さんを抱き締めている手から少し力を抜き、唇を離した… …涙でクシャクシャになった高山さんの顔は、悲しみと戸惑いに充ちていた…
「…どうして… …どうして、嫌いになってくれないのよ… …他の人みたいに…」
「…俺は俺だよ… …高山さんを捨てた他の人とは違う… …高山さんが好きなんだ。どうしようも無い程に…」
「…そんな… …お願い、同情なんかしないで、本当の事を言って?… …こんな汚い変態、本当は触るのも嫌なんでしょ?…」
「…俺は、嫌がっている高山さんを抱き締めて、更にキスまでしてるんだよ?… …汚いなんて少しでも思っていたら、絶対にこんな事出来ないよ?…」
「…本当に、本当にこんな私の事が好きなの?… …私の事、ずっと愛していてくれるの?… …絶対に、私から逃げない?… …本当に、信じてもいいの?…」
「…うん、愛してるよ… …今も、そしてこれからもずっと… …高山さんがいなくなったら、悲しさで気が狂ってしまう位大好きだ… …だから、絶対に逃げないし、そして離さない… …そして、俺の事、信じてほしい… …絶対に、大丈夫だから…」
「…本当に、私なんかでいいの?…」
「…いや、そうじゃ無いよ。」
「…えっ?…」
 その言葉に、高山さんは一瞬訝しんだ。俺は高山さんの目を見つめ、はっきりと言った。
「高山さん『なんか』で、じゃない。高山さんでなくちゃ駄目なんだ。」
 …もう俺には、高山さんしか見えないから…
「…あ、青木さ… …うぅっ… …うう… …うわぁぁぁぁぁっ…」
 …高山さんは、俺の胸に顔を埋めて、声を上げて泣き出した。服を通して、高山さんの涙の温かさが、俺の胸に伝わって来た。俺は優しく、そしてしっかりと高山さんを抱き締めた…


・第四章 告白
 いつの間にか、俺達は抱き合ったままベッドに腰を下ろしていた。高山さんはもう泣きやんでいたけれど、顔を上げる事が出来ないみたいだった…
「…青木さん、聞いて欲しいの… …どうして、あんな事をしちゃったのか…」
「…うん…」
 高山さんが小さい声で呟き、そして話し始めた…
「…3年前の夏の事なんだけど、私は、駅前通に行こうと思って、電車に乗ったの… …見晴らしのいい、一番前の車両の更に一番前に…」
「…高山さん…」
 まだ話し初めだが、高山さんの言葉が止まり、微かに震え始めた。そこまで、話しにくい事なの…? …俺は、そっと高山さんの頭を撫でた。高山さんを安心させるように…
「…快速の満員電車で、次に止まるまで20分かかる電車だったの… …そこで、私… …痴漢にあったの…」
「…痴漢に?…」
「…うん… …それも、ただの痴漢じゃなかった… …その痴漢は…」
 …再び、高山さんが言葉が止まった。今度は、高山さんをギュッと抱き締めた…
「…その痴漢は、私のお尻を揉んで、お尻の穴も揉んで… …ワンピースの中に手を入れて、パンティを下ろして… …そして、浣腸をしてきたの…」
「えっ!?」
 あまりの事に、俺は驚いて声を上げていた。
「浣腸って… なかなか止まらない満員電車の中で、しかもトイレから一番遠い車両で…」
 高山さんが言っている電車の車両編成は、大体想像がついた。この辺で電車というと、その路線しか無いから… 複線の路線で、上りにしろ下りにしろ、トイレは最後尾の車両にあったはずだ。一番前の車両に乗っていたのなら、そこは必ずトイレから一番遠い車両になるはずだ…
「うん、そうなの… …そこで、普段病院でも使わないくらい、大きな浣腸を… …次の駅に止まるまで、まだ15分もあったの… …それで、電車内のトイレに行こうとしたんだけど、トイレがあるのは最後尾の車両で、5両も人混みの中を抜けて行かなくちゃいけなかった…」
 …高山さんの体の震えが、少し強くなった。俺は思わず、抱き締める力を少し強めた…
「…でも、何とかトイレに行こうとして、人混みを掻き分けながら、後ろの方へ動いていったの… …やっと2両目に着いた時だった… …そばにいた男の子が心配して声を掛けてくれたの…」
「えっ!?」
 …3年前の夏、快速の満員電車の先頭車両、ワンピースの女の子、2両目に着いた時に男の子が心配して声を… …それって、まさか…
「…もう限界だったけれど、私は何とか頷いて、更に後ろに行こうとしたの… …でも、その時、電車が突然大きく揺れて… …咄嗟に、倒れないように足に力を入れて… …そしたら… …そしたら…」
「…高山さん… …辛かったら、もういいから…」
 辛かったら、無理して喋らなくてもいいんだよ… 俺は、高山さんの頭を胸に押し付けるように、ちょっと強めに抱き締めた。すると、さっきみたいに胸に涙の温かさが伝わってきた…
「いいんだよ、泣いちゃっても…」
「…ごめんなさい… …服、汚れちゃうよ…」
「大丈夫、気にしないでいいから… …もっと泣いちゃってもいいんだよ?… …泣いた分だけ、楽になれるからね…」
「…うん… …もう、3年も昔の事なのに、時々その事が夢に出てくるの… …あの時の事がそのまま… …実際に起こっているみたいに… …今朝も、その夢が…」
 …昔の酷い事故… …いや、事件… …あれからもう3年も経つのに、忘れる事も出来ずに… …それどころか、今までずっと苦しんで…
「…大丈夫、きっといつか忘れられるから… …もし、また思い出しても、俺がちゃんと付いていてあげるから… …そんな過去があったって、俺は高山さんの事、絶対に嫌いになんかならないから…」
「…でも、それだけじゃないの…」
「…高山さん?」
 …それだけじゃないって、どういう事? 俺が思わず聞き返すと、高山さんは顔を上げ、続きを話し始めた…
「…電車の中で全部出しちゃった瞬間、私は、苦痛からの開放感と同時に、快感を感じていたの… …私、浣腸で感じちゃっていたの… …思い出すのも嫌な出来事の筈なのに、その快感は忘れられなかった… …だから、時々自分で浣腸して、限界まで我慢して、あの時の開放感と快感を味わっていたの…」
 …高山さんの瞳に再び涙が溢れ、頬を伝う… …俺を見つめながら、話しながら、泣いていた…
「…痴漢にされた事よりも、人前で全部出しちゃった事よりも、そんな私自身が嫌だった… …今まで付き合った人には隠していたけれど、最後は必ずバレて、変態って蔑まれて別れられたの…」
「…高山さん…」
「…だから、今朝あの夢から覚めた時、青木さんにもバレたら別れられちゃう、って思ったの… …隠しても何時かバレる、隠した分だけ時間が経ってからバレて、その時間が経った分だけ青木さんの事をもっと好きになっていて… …そして、そこで別れられる… …それだったら、もっと好きになる前に、今のうちにって思って…」
 …高山さんは、再び俺の胸に顔を埋めて、泣き続けた… …俺は、再び高山さんの頭を優しく撫でた… …トラウマに怯え、浣腸で快感を感じ、快感を感じた自分を嫌悪し、そんな自分が嫌われる恐怖にも怯え、それを振り払うために自分を傷付け、その結果に更に傷付いていく… …そんな生き地獄を、高山さんはずっと味わっていたんだ…
「…ごめんなさい… …ごめんなさい、青木さん… …うぅっ…」
「…いいんだよ、謝らなくても… …俺は、全然気にしていないから… …今まで辛かったのに、よく頑張ったね?…」
 その言葉は、慰めでは無く、俺の本心だった。高山さんが俺の前でした事、感じてしまっていた事、そして後始末… 高山さんが自分を傷付けているという事を除けば、不快な事などひとつも無かったのだから…
「…ぐずっ… …うぅっ… …ひっく…」
「…高山さんがアレで気持ち良くなるんだったら、使っている事は気にしないから… …もしも、また望むなら、今日みたいに俺がしてあげるから… …高山さんの事、大好きだから、愛してるから、心配しないで… …嫌いになったり、しないから…」
「…青木さん… …ありがとう…」
「…ただ、今日みたいに自分を傷付けるのだけは、もう絶対に止めてね?… …高山さん自身も、見ている俺も、両方とも辛くなるだけだから…」
「…うん… …ごめんなさい… …もう、あんな酷い事しないから…」
 高山さんは、そのまま俺の胸の中で泣き続けた… …悲しみを、涙で流すように…

「…高山さん、ひとつお願いがあるんだけど…」
「…何?」
 高山さんの涙が止まってしばらく経った頃、俺はそう切り出した…
「もう1回、キスしてもいい? ふたりの初めてのキスが、あんな無理矢理だったから…」
「…うん、私からもお願い… …それと、私のファースト・キスのやり直しも一緒に…」
「…さっきのが初めてだったんだ… …あんな無理矢理で、ごめん…」
「ううん、ありがとう… …今までは、キスする前に別れていたから… …確かにさっきのは無理矢理だったけれど、とっても嬉しいの… …だけど、今度は優しく…」
「うん… それと、俺のファースト・キスのやり直しもね…」
「…青木さんも、初めてだったの?…」
「うん、そうだよ…」
 ふたりとも、さっきのが初めてだったんだ… 俺達は目を瞑って、唇を合わせようと…
「…あっ、嫌…」
「…高山さん?…」
 高山さんの声に、俺の動きが止まった。 …やっぱり、まだキスには早いのかな?…
「…ごめんなさい、ちょっと後ろを向いてて… …ちゃんと、服を着るから…」
「…あ、うん… …ごめんね、気が付かなくって…」
 そうだ、高山さんの格好… …下半身裸のままだったんだ… 俺は慌てて後ろを向いた。顔が火照るのを感じながら…
「…でも、どうしてなんだろう?… …さっきまでは、あんな事をしても全然恥ずかしくなかったのに…」
「…きっと、本当の高山さんに戻ったからだよ。」
「本当の… …私?」
 俺は、後ろを向いたままそう答えた。その答えに高山さんは、不思議そうに聞き返した。
「さっきまでのは、過去と未来の恐怖に襲われて、全く余裕の無かった高山さん… …そして、普段の高山さんこそが、本当の高山さんなんだよ?」
「…そう… …なのかな?」
「無理をしている自分なんて姿は、結局長く続ける事は出来ないと思うんだ。だから、普段の何気ない姿こそが、本当の自分なんじゃないのかな?」
「…そう… …かもしれない… …ううん、本当にそうだよね?…」
 高山さんと知り合って、何度もデートして… 俺も高山さんも、自然に喜んでいた。その時の高山さんが、自分を偽っていたとは思いたくない… …いや、思えない。それに対して、さっきまでの高山さんは…
「うぁっ…」
「…高山さん?」
 そんな事を考えていると、突然高山さんが呻き声を上げた。
「…ぐぅっ…」
 思わず問いかける俺に対し、反って来たのは、さっきよりも苦しそうな呻き声だった。慌てて振り返ってみると、高山さんはお腹を抱えて、うずくまっていた。
「高山さん! 大丈夫!? …ひょっとして、お腹痛いの?」
 俺は慌てて高山さんに駆け寄り、後ろから体を支えた。そして、高山さんに問い掛ける。高山さんは、苦しそうに頷いた…
「うっ、うぐぅ…」
 そして、高山さんは立ち上がろうと、体に力を入れる。しかし、よほど苦しいのか、立ち上がる事は出来なかった。そして、高山さんを支えている俺に、震えが伝わる。 …どうしたら良いんだ? このままじゃ、ここで… …駄目だ! これ以上、高山さんの心に傷を付ける事なんて、絶対に出来ない!
「…も、もう… …駄目…」
「高山さん!」
「くあっ!?」
 高山さんが、限界を訴える。次の瞬間、俺は右手で高山さんのお尻の穴を押さえていた。その刺激に、高山さんが声を上げる。これで、もう少しは保ちそうだ。けど、この後どうすれば… 慌てて辺りを見回すと、すぐ手の届く所に、さっきの洗面器があった。 …高山さんがもう少し保ちそうだといっても、どうやってもトイレまでは無理だ。床や廊下にお漏らしさせてしまうよりは…
「高山さん、もうちょっとだけ我慢して。それと、少しお尻を上げて。」
 俺がそう言うと、高山さんはその指示に従ってくれた。そして俺は、高山さんのお尻の下に、洗面器を置いた。 …どういう事か分かったのだろう。高山さんは首だけ回して、俺の顔を見た。驚きと恥じらいと悲しみが混じり合った表情で…
「…手を離すよ?」
「…で、でも、嫌… …青木さんの前で、こんなに汚い… …恥ずかしい…」
「大丈夫、目を瞑っててあげるから。それに、俺は汚いなんて全然思わないから、心配しないでいいんだよ…」
 俺は高山さんを安心させる為に、笑顔で答えた。そして目を瞑り、そっと手を離した…
「うっ… うあぁっ…」
 その次の瞬間、それは大きな音を立てて、勢い良く洗面器の中に落ちていった… しばらくして、出ていく音が中断しても、高山さんはまだ苦しそうだった。
「…大丈夫?」
「…まだ、お腹痛い…」
 …これだけ出したのに、まだ痛いなんて… 俺は左手を伸ばし、高山さんのお腹に当てた。
「ふあっ!?」
 そして、そのまま高山さんのお腹を大きく円を描くようにマッサージした。高山さんのお腹は、とても冷たかった…
「…お腹、かなり冷たくなってるよ。相当、無理してたんでしょ?」
「う、うん…」
「もう、無理しないでね… 俺がちゃんと付いていてあげるから… 昔の苦しみや悲しみ、俺が全部消してあげるから…」
「う、うん… …ぐずっ…」
「…高山さん?」
「あ… その… …な、なんかホッとしちゃって…」
 しばらくマッサージを続けていると、高山さんのお腹は徐々に温かくなってきた。そして、お腹の中が動く感触が掌に…
「…あっ… …んんっ…」
「大丈夫?」
「また、また出ちゃう…」
「大丈夫だから、このまま出していいよ。早く全部出しちゃって、楽になろうね。」
「…で、でも…」
「大丈夫。絶対に見ないから。俺はさっきから、ずっと目を閉じてるから。」
「う、うん… んんっ…」
 そして高山さんは、再び息んだ。すると、高山さんのお腹の中に残っていたものは。すぐに出ていった…
「もう大丈夫かな?」
「うん… もう、痛くない…」
「…悪いけど、トイレットペーパー取ってくれるかな? 俺、今動けないから…」
「…えっ? 動けないって… …あ、青木さん!?」
 高山さんが慌てて振り返る。そこには… 洗面器の上、縁に触れるように、俺の右手がある。そして、その手は茶色い水で濡れていた…
「…今動くと、滴が床に落ちちゃうから…」
「…青木さん… …まさか、素手で…」
「うん、咄嗟の事だったから… トイレットペーパーを取ってたら、間に合わなかったし。」
 さっきはあまりにも急だったから、トイレットペーパーを使っている余裕なんて無かった。素手で高山さんのお尻の穴を押さえて、離した瞬間に、全て右手に掛かっていた。狭い洗面器の上では、逃げ場が無い。手を離した時に汚れてしまい、滴が零れないように洗面器の内側に手を置いていたので、その後に出た物も、全て右手に… 高山さんが渡してくれたトイレットペーパーで、滴が零れない様に右手を拭き取ってから、高山さんのお尻を拭いた。さっきみたいに優しく、丁寧に…
「じゃあ、洗って来るから、少し待っててね。」
「…うん…」
 そうして俺は、洗面器を持って、高山さんの部屋を出た。

「…ごめんなさい… …汚かったでしょ?…」
 俺が部屋に戻ると、高山さんはちゃんと服を着ていた。そして、消えそうな声で謝ってきた。
「ううん、そんな事無いよ。さっきの後始末も、今のも、全然汚いなんて思ってないから。」
「…そんな… …無理してそんな事言わなくても…」
「本当に無理なんかしてないよ。正直、俺自身不思議なんだけど… 自分のでも汚いって感じるのに、高山さんのだって思うだけで、全然汚く感じないんだよ…」
 俺がそう答えると、高山さんは俺に抱きついて来て、俺の胸に顔を埋めた。
「青木さん、ありがとう… 大好きだから… もう、絶対に離れないから… ずっと、信じていけるから…」
 その言葉に、俺も思わず高山さんを抱き返していた。 …高山さんに大好きと伝えて、高山さんからも大好きって言ってもらえた… …今やっと、俺達の心が完全に通じ合えたような気がした…
「…」
 …しばらくして、高山さんは顔を上げた。そして、その顔に一瞬戸惑いが浮かぶ。そして…
「…青木さん、さっきのお話の時に、『そばにいた男の子が心配して声を掛けてくれた』って所で、何で驚いたの?…」
「それは…」
 その質問に、俺は少し戸惑った。さっきの話の時に驚いた理由は、俺の初恋に関係ある話だからだった。いくら何でも、恋人に昔の恋の話をするなんて、デリカシーに欠ける行為だ。しかし… …今の高山さんになら、ちゃんと話しておいた方が良いのかもしれない…
「…俺は今まで、何人かの女の子と付き合った事があったんだけど、いつも1ヶ月も続かなかったんだ。3年前の夏、中学生の頃に初恋をしたんだけど、その女の子の事が頭から離れなくて、そこを見透かされたみたいでね。俺自身、もう吹っ切ったつもりだったのに…」
「…そうなんだ… …でも、私はそんな事感じなかった…」
 予想通り、高山さんは少し悲しそうな顔をした。それでも、俺は話し続けた…
「うん、それはちょっと訳があってね… その初恋なんだけどね、一目惚れだったんだ。楽器の整備品を買いに行こうとして、快速電車の前から2両目の車両に乗ろうとした時の事だったんだけど、隣の先頭車両に乗ろうとしていた白いワンピースの可愛い女の子が目に入ったんだ。その子はそのまま電車に乗っちゃったから、名前も何も分からなかったんだけどね。」
 俺は、あの時の事を思い出しながら話していた。あの衝撃的すぎる出会いは、今でも鮮明に思い出す事が出来る。本当は、忘れてしまった方があの女の子の為なのに… …そして、その女の子もそれを望んでいた… …それでも、俺は忘れる事も諦める事も出来なかった…
「電車の中は満員でギュウギュウ詰めだった。けど、発車してしばらくしたら、その子が隣の車両から人を掻き分けながら、ゆっくりとやって来たんだ。でも、お腹を押さえてて、顔色は真っ青で、とっても辛そうだった。俺は『キミ、具合悪そうだけど、大丈夫?』って声をかけたんだ。その子は頷いて、更に後ろの車両へ歩いていこうとしてた。その時、急に電車が大きく揺れたんだ。その子は立ち竦んでから、崩れ落ちるみたいに座り込んじゃったんだ…」
「えっ!? …それって、まさか…」
 …本当は、座り込むだけじゃ無かった。突然布を引き裂くような音が響き、その子のお尻…白いワンピース…が茶色く染まった。そして、足下に茶色い水と茶色い泥を落としながら、その子は崩れ落ちるように座り込んだ。その時ワンピースが捲れ、茶色く染まったお尻が一瞬見えた。なぜかパンティは太股まで下がっていたので、お尻そのものが… …それを見た途端に、俺の頭の中は真っ白になって、何も考えられなくなっていた。悲鳴を上げて逃げ出す周りの人をかき分け、その子の前に膝をついて座って、その子の両肩を揺さぶって、必死に声をかけ続けた。その子のワンピースの股間の部分は黄色く染まり始め、新たな水溜まりを作りつつあった。俺のズボンは茶色と黄色に染まっていったが、それを汚いと感じる余裕も無く、辺りの臭いを気にする事もない程、混乱して必死だった…
「満員のはずなのに、周りの人は急に引いていった。俺は慌ててその子の肩を揺さぶって声をかけたけど、その子から出てきた言葉は、絶叫だった… 電車は次の駅で急停車して、駅員さんが女の子を降ろそうとしたから、俺もその子に肩を貸して、一緒に降りたんだ。 …好きになった女の子だったから、放っておけなかったんだ…」
 …その子に肩を貸そうとした時、その子は『汚れちゃうよ?』と小声でそう呟いた… …自分がこんな状態なのに、他人の事を心配出来る。その事がとても凄い事に感じられた… …それにその子は、好きになった女の子だったし、その直前の事も、汚いとも臭いとも思っていなかった。だから、『大丈夫、気にしないでいいから。』と、しっかりと答える事が出来た… …その後、その女の子とは別々の部屋に連れて行かれて、駅員室でシャワーを貸してもらって、駅員さんが用意してくれた服に着替えて…
「その後、俺も駅員さんに色々聞かれたんだ。それが終わった後で、俺は『同じ駅で電車に乗るのを見たから、その子をその駅まで送っていく』って駅員さん言ったんだ。けれどその子は、ひとりで帰るって言って、先に帰っちゃったらしいんだ。」
 駅員さんが嘘を言っている事は、考えるまでもなく分かった。その時間帯に帰る電車は無かったし、あんな目にあった後で電車で帰ろう何て思うはずが無い… …つまり、俺に自分の事を知られたくない、忘れて欲しいという意志だった。 …しかし、俺は忘れる事も、その恋を諦める事も出来なかった…
「結局、その子の事は、名前も何も分からなかった。その後何回か同じ電車に乗って探したけれど、結局会えなかったんだ。」
「…ごめんなさい… …あの時、恥ずかしかったし… …あの事を早く忘れて欲しかったから… …私、嘘を… …本当は、まだ駅員室にいたのに…」
 高山さんは、小さな声で謝っていた。そんな事、謝る事なんて無い。あんな目にあった事なんて、一刻も早く忘れたい、忘れて欲しい、誰にも知られたくないと思うのは、当たり前の事じゃないか。
「謝らなくてもいいんだよ、もう昔の事だし… もう、どうしようもないから忘れようって思って、吹っ切ったつもりだった。けれど、完全に忘れきれなかったみたいで、それから今まで、女の子と満足に付き合う事が出来なかったんだ。 …でも、今は、それで良かったと思ってる。そのおかげで、こうして高山さんと恋人同士になれたんだから…」
 …高山さんを初めて見た時に感じた懐かしい面影、それはあの時の女の子の面影だったんだ… …つまり、俺は初恋の人と恋人同士に… …あの子と恋人、目の前には『今の』高山さんがいるから、『昔の』あの子の事が頭を過ぎる事は無かったんだ…
「…いつ、それが私だって気が付いたの?… …ひょっとして、初めから?…」
「ついさっきだよ。高山さんの話を聞いて、やっと分かったんだ。だから、驚いちゃって…」
 そう答えると、高山さんの顔が、少し不安げに曇った。その理由は、考えるまでもなく分かる。いや。伝わってくる…
「…大丈夫だよ。告白された時から、今の高山さんの事しか見ていないから。初恋の女の子を重ねて見ていた訳じゃないから…」
 …不安の原因は、初めてあった時の事。あの事件の前の『綺麗な』高山さんと、事件の後の『汚れた』高山さんの、どちらを好きになったのか… …そんな事は関係無い。俺が好きなのは、『今の』高山さんなんだから…
「…青木さん…」
「…高山さん…」
 今度は、ちゃんと唇を重ねた… …ファースト・キスのやり直し… …高山さんの嬉しさと、温もりが伝わって来るみたいだ… …凄く幸せで、ずっとこうしていたい… …その時、唇にわずかに痛みが走った。
「…青木さん、唇…」
「…えっ? あっ…」
 高山さんの声に唇を舐めてみると、微かに血の味がした。さっき抱き締めた時に、ちょっと切れちゃったみたいだ。
「…ごめんなさい… …大事な唇なのに…」
「大丈夫、これくらいすぐに治るよ。でも、大事な唇って?」
「…青木さんを神代薬局で初めて見かけた時に、言ってたから… 『トランペッターにとって、唇は一番大事な場所』だって…」
『…あのな、トランペッターにとって、唇は一番大切な場所なんだぞ? 気を使うに決まっているだろうが…』
 …確かに、神城薬局でそう言った覚えはある。しかし、話している相手は神城だったし、その頃は高山さんとは恋人どころか、全くの他人だったのに…
「…恋人になる前の、しかも他の人に言った事まで、覚えてくれてたんだ…」
「…うん… …青木さんの事を好きになった時の事だもん、忘れられないよ…」
「ちょっと練習の時に痛みそうだけど、すぐに治るから大丈夫だよ。それに…」
「それに… …何?」
「それに、こんな傷の事より、高山さんの事の方が心配だから…」
「…青木さん… …ありがとう…」
 俺達は再び抱き合い、唇を重ねた。高山さんは、俺の唇の傷を集中的に舐めてくれた。子供の時、怪我をすると舐めて治していた時のように…


・終章
「青木さん、ちょっと部屋から出ない…?」
 しばらくして、突然高山さんがそう切り出した。
「どうしたの? 突然…」
「…ごめんなさい。部屋の空気を入れ換えたくて… でも、窓開けると寒いから、その間別の部屋で…」
 確かに、部屋の中は異臭で満ちていた。 …しょうがないか。あんな事をしちゃったんだし…
「そうだね。それじゃあ、行こうか。」
「うん…」
 俺達は窓を全て開けてから、部屋を出た。とりあえず、1階のリビングへ…
「…えっ?」
「…あれ?」
 リビングのテーブルの上には、ふたり分のシャンパングラス、同じくふたり分の皿とフォーク、ケーキナイフが並んでいた。 …もしかして、高山さんが?…
「高山さん、これ…?」
「ううん、私じゃない…?」
 それじゃあ、一体… よく見ると、テーブルの上には、封筒が1枚置いてあった。高山さんはその封筒を手に取って、慌てて封を切って、中に目を通した。
「青木さん、ちょっと手伝って?」
「う、うん…」
 そして、高山さんはキッチンへ行って、冷蔵庫を開けた。その中にはケーキの箱と、シャンパン風のジュースの瓶が入っていた。 …この箱は見覚えがある。確か、『ツー・ラビッツ』の… …高山さんのご両親が働いている店の…
「…高山さん?」
「お父さんとお母さんからのクリスマスプレゼント… …『愛し合う恋人に、ささやかなクリスマスパーティーを』だって…」
 愛し合う恋人に… 高山さんのご両親も、俺と高山さんの仲を認めてくれていたんだ… …ちょっと恥ずかしかったけど、それがとても嬉しかった。
「…お父さんとお母さん、とってもいい人だね… …高山さんを見ていて、何となくそう思っていたけど、当たってたよ…」
「…うん、ありがとう… それでね、ひとりじゃ1回で運べないから…」
「いいよ。一緒に運ぼうね。」
 俺がケーキを、高山さんがジュースを持って、ふたり並んでリビングへと向かった。俺は、ケーキをテーブルの真ん中において蓋を取って、席に着いた。 …生クリームとチョコレートのダブルケーキ。上には、サンタに扮装した白と茶色の兔のメレンゲが、まるで恋人同士のように… 高山さんは、自分の椅子とグラスとお皿を動かして、俺の左隣に腰を下ろした。
「…ごめんなさい… …近くにいたいから…」
「そんな事で謝らないでいいんだよ? 俺も嬉しいから…」
 そう言いながら俺は、左手を高山さんの肩に回して、引き寄せた。そして、俺達はピッタリくっついた…
「あっ… …え、えっと、ケーキ切らなくちゃ…」
「うん…」
 しのちゃんがそう言いながらケーキナイフを取った。俺は、自分の右手をしのちゃんの右手に添えた。そして、肩に回していた左手を腰に…
「…あっ… …マサト君?…」
「一緒に、ね?」
「う、うん… …一緒に…」
 そうして俺達は、ふたりで一緒にケーキを切っていった。 …それはまるで、結婚式のケーキカットみたいだった。ちょっと狙っていたとはいえ、さすがに緊張する… …そんな緊張の中で、俺は決意を固めた。そして、その言葉を口にした…
「しのちゃん、今はまだ無理だけど… …俺達が大学を卒業して就職したら、みんなの前で、これをやろうね?」
「…えっ? それって…」
 しのちゃんへのプロポーズ… 高校生の分際でまだ早いかもしれないが、俺はもうしのちゃん以外には考えられない。ただ、約束を実行出来るのは、ちゃんと社会人として身を立ててからになるけれど… 俺のその言葉を聞いて、しのちゃんの頬を涙が伝う…
「…駄目、かな?…」
「…ううん、絶対やろうね? …約束、ね?…」
 しのちゃんは嬉し涙を流したまま、微笑んでくれた。悲しみの涙は見ていて辛かったけど、嬉し涙を見るのは、とっても嬉しかった。
「うん、絶対に…」
「…マサト君…」
「…しのちゃん…」
 俺達は、再び唇を重ねた。しのちゃんの嬉し涙が止まるまで… …あれ?
「…あ、あれ? 名前…?」
 気が付くと、俺達は自然に名前で呼び合っていた。今までは名字だったのに、何も意識する事なく名前で… まるで、ずっと昔から恋人だったみたいに…
「高山さ… しのちゃん、これからも名前で呼び合おうよ? そのうち、同じ名字になるんだから…」
「…うん、青木さ… マサト君…」
 …一度意識しちゃうとちょっと呼びにくいけど、きっとすぐに慣れるかな?… …これからも、ずっと名前で呼び合っていこうね?…
 俺はグラスにジュースを注いで、ひとつを手に取った。しのちゃんも、もうひとつのグラスを手に取る。
「マサト君、乾杯しようよ?」
「うん、しのちゃん。乾杯する事が色々あるから、ひとつずつね?」
 俺達は、グラスを掲げた。そして…
「…聖夜に…」
「…恋人同士になって、1ヶ月目の記念日に…」
「…本当に、ふたりの心が通じ合えた記念日に…」
「…そして、ふたりの婚約記念日に…」
『…乾杯!!』


−終−

第7話 Side-B


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