SPACE銀河 Library

作:えり子

家  族

(プロローグ)

 私は香谷えり子、20才、女子大の学生です。
親元を離れて、都内のアパートで暮らしています。
これまで一人暮らしだったのですが、今春から妹のゆり子が都内の大学に
入学したので、共同生活を始めました。

 私の家族は父、母、妹、祖母と5人家族です。
家族全員、明るく元気で健康に過ごしています。
家族が皆元気なのはよいことですね。
これにはわが家の伝統的な健康法が関係しているんです。
 今日はそのお話をいたしましょう。

(その1 祖母)

 私の祖母は70代の半ばですが、とても元気で美しい人です。
私と妹をよく気遣ってくれるとてもやさしい祖母なんです。
 祖母は中学の家庭科(今はこう呼びませんが・・・)の先生でした。
だから手先がとても器用で、洋裁、和裁、料理などがとても上手で、
私たちにもよく教えてくれます。
 
 祖母はやさしいだけではなく、しつけではきびしい面をもっています。
私の父、母が共働きなので、私たちは祖母にきびしくしつけられました。
日常のあいさつ、お料理をいただくときのい作法、お話の仕方や言葉つかい
など、ずいぶん注意を受けました。
人とお話をするときは必ず目を見てて話すように言われました。

 そして、特にきつく注意されたのは、人にお尻を向けてはいけないという
ことでした。
「お尻は不浄な場所だから・・・。」とよく言われました。
 確かに、お尻はウンチが出る場所だから、それは理にかなったことと理解
できました。

 また、祖母は私たちの健康管理にも気配りをしてくれました。
祖母は毎日、私たち姉妹のお通じをチェックしていました。
ウンチは有毒で、一刻も早く対外に出さなければいけないというのが祖母の
持論でした。
 ウンチは発熱、のぼせ、吹き出物、腹痛、そして自家中毒症の原因だと
信じていました。

 祖母が大切にしているお道具がありました。
それはホーローの洗面器、ホーローの差込式おまる、そして青いガラスの
浣腸器でした。
 それはずいぶん古いものでした。
祖母はそれを私の母、叔母(母の妹)によく使っていたそうです。
そして私たもそのお道具に、小さいときからしばしばお世話になったのです。

 平日は母が不在なので、私たちは祖母に日常生活の管理を委ねていたのです。
特に祖母が一番気にしていたのは私たちの健康、とりわけ発熱と便通でした。
毎日、祖母は私たちの額に手を当て、そしてお通じの有無を問うのでした。

 熱があるとき、そしてお通じがないと、あの青いガラスの浣腸器が登場するのです。
「えり子、こちらに来なさい。」
 私は祖母の部屋に呼ばれます。
そこには祖母のお道具7点セットが置いてあります。
 主役はあの青いガラス製浣腸器、そして脇役はホーロー便器、ホーロー洗面器、
グリセリンのビン、ワセリンの小瓶、チリ紙、そして新聞紙です。
 
 畳の上に新聞紙が重ねて広げられています。
私はその上に横にさせられます。
祖母はお湯の入った洗面器にグリセリンを加えます。
 私の下着を下げます。
そして指で私のお尻の穴にワセリンを塗ります。
それから浣腸器に洗面器から液を吸い上げます。
 そしてそれを私のお尻の穴に挿入します。
ゆっくりピストンを押します。
それから浣腸器を抜きます。
それを新聞紙の上に置きます。
間を置かず私のお尻の下にホーロー便器を差込みます。
そして、チリ紙で私のお尻の穴を押さえます。

 祖母はそれから歌を歌ってくれます。
歌は「野バラ」や「ローレライ」、「アニーローリー」など外国の歌が多かったです。
私は歌を聞きながら、便意をがまんします。
 歌の2番が終わるころ、私はそわそわと、体を揺すります。
祖母は言います。
「えり子、もうがまんしなくていいわよ。」
私はおなかの中のものをおまるに排出します。
祖母はお尻をていねいに拭くいてくれます。
それから私が出したものを観察します。
「はい、いいよ。」
これで私は解放されます。
祖母は窓を開きます。

 私、浣腸がきらいではありませんでした。
祖母とスキンシップができること、そしておなかが楽になると、
気分がとてもよくなるからです。

 私の妹も私と同じように浣腸が好きです。
私が浣腸をされると、自分も祖母に浣腸をおねだりします。
祖母は
「ゆりちゃんはまたいつかしようね。」
と、やんわり断ります。

 こんなことが、私も妹も高校を卒業するまで続いたのです。
おかげで、二人とも、大きな病気もせずにすくすくと育ちました。
私も妹も祖母に、そしてあの浣腸器に感謝しています。

(その2 父)

 私の父は高校の英語教師をしています。
やさしく、しかもユーモアがあって、私は父がとても好きです。
困ったことや知らないことがあると、すぐ父に聞いたり、相談します。
父はいつも的確な答えを出してくれます。
私にとっては父はとても頼りになる存在なのです。

 私は父から英語を直接教わったことはありませんが、私も英語が好きで
得意な科目でした。
これは遺伝なのでしょうか。

 祖母は母方なので、父にとっては義母ですが、互いに尊敬し合っていて、
とてもよい関係でした。

 父は散歩やサイクリングが好きで、私も父とよく散歩をしました。
父はいろんなおもしろいお話をしてくれましたし、よく英語の歌を歌って
くれました。
父は素敵なバリトンで、「花はどこへ行った」、「漕げよマイケル」などを
歌ってくれました。
圧巻は「マイウエイ」で、素晴らしく上手でした。

 父との思い出は多くありますが、特に私の印象に残っていることが2つあります。
一つはお風呂の思い出です。
幼い私たち姉妹をお風呂に入れるのは父の役目でした。
父とお風呂に入るのは大好きでした。
まず父が先に入り、次に私が入ります。
私があがると、今度は妹が入るのです。

 湯舟の中で私は父のひざの上に座ります。
父の大きな胸や腕がとても安心感を与えてくれます。
湯船で父はおふざけをして私を喜ばせてくれます。
 両手を使って水鉄砲のようにお湯を飛ばします。
「これ、浣腸だぞ、えり子にしてあげようか。」
「きゃ〜いやよ〜、やめて〜。」
 私は父とふざけ合います。
 
 父は両手で空気を湯の中にもって行き、湯舟の底で手を開きます。
すると、空気は泡となって湯の表面にぶくぶくと上がってきます。
「えり子、おならをしたな、くちゃいぞ〜。」
「いやだ、私、おならはしてないわよ。」
また、父はふざけます。

 湯舟からあがって、父は私の体に石けんを塗って全身を洗ってくれます。
石けんを流し、今度は各部分を丁寧に洗ってくれます。
「汚れやすいところは丁寧に洗おうね。」
そう言って、父は洗い始めます。
 まず足です。
足の指1本1本を手で丁寧に洗ってくれます。
それから私はタイルの上に手とひざをつけ、よつんばいの姿勢を取ります。
「おしっこの出るところを洗おう。」
そう言って、父は私の背後から、私の前の部分を洗ってくれます。
「今度はうんちの出るところだぞ。」
「うん。」
父はお尻の穴にたっぷり石けんをつけて洗ってくれます。
「お尻の穴は病気になりやすいから、マッサージをしよう。」
そう言って、今度は小指の先に石けんをつけて、私のお尻の穴に小指の第一関節を
挿入してマッサージをしてくれます。
これはとてもきもちがよく、こうしてもらうと私はとても幸せな気分になりました。
 それが終わると、今度は頭をシャンプーしてもらい、終わりになります。
 
 父と一緒に入るお風呂はとても楽しかったですが、私が小学6年生のときに
生理が始まり、そのときから私は父とお風呂に入ることはなくなりました。

 今、大人となっても、ときどき、父と毎日入ったお風呂のことを思い出し、
また一緒に入ることができたらいいのにと感じています。
そして、父からお尻の穴をよく洗ってもらい、あのマッサージも受けたいと願望すると
体が熱くなります。
 父から教えてもらったお尻の穴のマッサージは今、私は自分の指で毎日お風呂で
実行しています。
そのとき私の心は父の顔を思い浮かべながらしています。

 おかげで、お尻の穴の調子はよく、痔とは無縁で、ありがたいと思っています。

(その3 再び父)

 父の思い出ででもうひとつ印象に残っていることがあります。
あれは小学5年生のときのことです。
 祖母が友人と3泊の旅行に出かけたときのことです。
2泊の予定だったのですが、教え子達と同窓会があるそうで、もう1泊旅行を
延長して、3泊になったのです。

 母は仕事を休まれないようで、私が鍵をもって学校から帰って、妹と家の留守番を
していました。
 夕方に私はおなかが痛くなっていました。
祖母がうんちのチェックをしてくれなかったので、おトイレに行くことを2日ばかり
忘れていました。
そのせいでしょうか、おなかが急に苦しくなっていました。

 母が帰宅しました。
私は腹痛を母に訴えました。
母は困った表情で、どうしたものか思案していました。
私には母がの口から、
「浣腸をしましょう。」
という言葉が出るのを期待していました。
 腹痛は仮病ではななく偶然訪れたものですが、これをチャンスにして
今日は母に甘えたかったのです。
でも、私の予期したこととは違う展開になりました。

 母が思案している最中に、父も帰宅しました。
 父と母が何やら相談していましたが、父が急ぎ、外出しました。
間もなく父は帰宅しました。
手には紙袋をもっていました。

 私は父と母におトイレに来るよう呼ばれます。
父と母がおトイレで待っていました。
父が言います。
「えり子、今からお父さんが浣腸をしてあげるから、下着を脱いで、便器の上で
 お尻を出しない。」

 父が私に浣腸をするとは全く意外なことでした。
父からされることにはちょっと複雑な気分でした。
毎日お風呂でお尻を父に触れられているものの、浣腸となるとちょっと恥ずかしい
気分です。
 それに、私、もう5年生になっていました。
異性を気にする年頃になっていました。
父は家族でしかも私にとってもっとも身近な存在ですが、異性なのです。
異性から浣腸をされるなんて、生まれて初めての経験です。
とてもショッキングなことでした。
 
 私は意を決して、言われたようにします。
今はウオシュレットつきのおトイレに改造されていますが、当時のわが家の
おトイレは便器は和式で、男女共用になっていて、便器が一段高い位置にありました。
 私はお尻を出して、高い位置にある便器にまたがります。
もうどうしようもありません。
私は自分のお尻を父に委ねます。
 
 おトイレの内部は大人2人は入れないので、母はドアの外で私を見守っていました。
 父は袋から青い箱を取り出します。
その中には小さなピンク色の浣腸が2個入っていました。

 父は便器の下に腰を落とし、顔を私のお尻の穴の前にくっつけて、右手で私の
お尻の穴を開きながら言います。
「えり子、今から浣腸をするけど、しばらくがまんするんだぞ。」
「うん。」
 私は素直に従います。
祖母の方法とは違っていましたが、浣腸そのものには慣れていたので、さほど不安は
感じませんでした。
 
 浣腸器が挿入されたと感じると、あっという間に液が注入され、浣腸はすぐに終わり
ました。
事前に複雑な思いをしたのに、あっけないことでした。
液量は祖母からされるときの半分くらいでした。

 私はお尻を父と母に見つめられながら、便器の上で時間を待ちます。
なかなか便意が強くなりません。

 私の頭はまだ父から浣腸をされたことを強く意識し、それにこだわっていました。
異性から受けた浣腸は単に浣腸ではなく、まだ私にとって未経験であるセックスという
ものを連想させていました。
セックスをされたときもこんな気分になるのかなと思いました。
そんなことばかり考えていたことと、液量が少なかったことの相乗作用でしょうか、
便意がなかなかやってきませんでした。

 父と母が相談し、結局もう一個を使うことになりました。
父から再び浣腸されることに、今度はうれしいきもちもありました。
もう一度、愛する父からセックスにも似たあの浣腸をされちゃうんです。

 2度目の浣腸もあっけなく終わりました。
もう一度して欲しいという思いもありますたが、もう浣腸はありません。

 やがておなかが急に痛くなりました。
「私、うんちが出そうよ。」
「かまわないよ、出していいさ。」
父がそう言います。
すぐにたくさんのものがお尻から出ました。
急に楽になりました。
母がお尻を拭いてくれました。
私は最後まで父にして欲しかったと、ちょっぴり母を恨みました。

 母は私のお尻を拭きながら言います。
「えり子、ウンチがたくさん出てよかったわね、あんなにたくさんたまっていたら
 さぞ苦しかったでしょう、どう、楽になった?」
「うん、でも恥ずかしかった。」
「お父さんにありがとうと言いなさい。」
「うん。」

 父から浣腸をされたのも、後にも先にもこのときだけです。
それだけに、この思い出は私の胸の中に大切にしまっています。
いつまでも忘れられないことでしょう。

 もう、父から浣腸をされることはないでしょう。
しかし、私は当時の若い父に夢の中で何度も浣腸をされています。
やはり父に浣腸をして欲しいという願望が胸の奥にあるのでしょうね。

(その4 母)

 私の母は高校の音楽教師です。
ヴァイオリンとピアノの演奏が上手です。
母から手ほどきを受けたので、私もピアノを弾くのが好きです。
 母は高校で音楽を教えていますが、同じ高校の合唱団の指導もしていて
忙しく、自宅に帰えるのが遅くなります。
だから、母とゆっくり話をする暇がないのがちょっと残念なのです。
 でも母は開けっぴろげの性格で、隠し事が嫌いです。
だから母とお話しをすると、何でも隠さず話をしてくれます。

 私が高校生の頃、ある日曜日の午後、私は母と紅茶をいただきながら
おしゃべりをしました。

「お母さん、お父さんと知り合ったきっかけは何なの。」
「教育の研修会で知り合ったのよ。
 研修会が終わって、打ち上げの席で隣同士になって、お話がはずんだの。
 それで、意気投合したのよ。
 音楽や登山など共通の趣味があったから。
 そして交際が始まったの。」
「ふ〜ん、そうなんだ。一応恋愛結婚なんだ。」

「私のおばあさんって、どうして何でも器用にできるの?」
「おばあさんはね、おじいさんを、つまり私のお父さんだけど、早く亡くしたの、
 だから何でも自分でしなければならなかったのよ。」
「ふ〜ん、苦労したんだ。」
「そうよ。」

「お母さん、おばあちゃんの一番得意なこと知ってる?」
「もしかして、浣腸?」
「ピンポン、正解よ、おばあちゃん、浣腸するのとても上手よ。」
「そう言えば、お母さんも、叔母のとし子も、おばあちゃんによく浣腸されたわ。」
「そうなの、やはりあのあの青い浣腸器で?」
「そうよ、私、実は20才を過ぎてからも浣腸されたことがあるわ。」
「お母さん、そのお話、聞かせて。」
「悪い子ね、そんな話を聞いてどうするの。」
「うん、ちょっと興味あるの。」
「隠しても仕方ないから、話をしてあげるわ。」
「是非是非聞きたいわ。」
「おませな子ね。」

  母は少し照れながら語り始めました。
「お父さんとの結婚式が近ずくと、私、緊張しちゃって、胃腸の働きが悪くなったの。
 お通じが数日ストップしちゃったの。
 おばあちゃんはそれをズバリ見抜いたわ。
 けい子、あなた便秘しているんじゃないの、そう言われた。
 私は素直に告白したわ。
 そう言うと、おばあちゃんが私に何をするか、明白だったから。
 実は私、浣腸してもらって、一刻も早くすっきりしたかったの。
  予想通り、それからおばあちゃんの部屋で私は何年かぶりに浣腸をしてもらったわ。
 それはとてもよく効いて、きもちよかった。
 そのおかげで、私は無事に結婚式を迎えることができたのよ。」
 
「お母さん、きれいな体で結婚式を迎えたのね。
 そして、浣腸のおかげで初夜も無事に迎えることができたのね。」
「えり子ったら、何を言うのよ。」
「お母さん、ごめんなさ〜い」。

「ところで、ハネムーンはどこへ行ったの?」
「結婚式は5月だったけど、二人とも休みがとれなかったから、7月になって上高地
 に行ったわ。
 北アルプスの山と梓川、そして大正池がとてもきれいだったわよ。」
「ふ〜ん、いいな、いいな。」
「いいことばかりじゃなかったわ、私、旅行に出ると便秘になるクセがあるの。
 ハネムーン先でもそうなっちゃったのよ。
 でもね、おばあちゃんは私のその習慣を知ってたから、私に内密に、お父さんに
 いちじく浣腸を渡していたのよ。
 お父さんも私の便秘に気づいて、おばあちゃんから浣腸を預かってるって私に言うの。
 私、苦しくてたまらなくって仕方ないから、私、お父さんに、旅館の部屋で浣腸を
 してもらったの。
 それで元気になったのよ。」
 
「へ〜、上高地でお父さんに浣腸をしてもらったの、ロマンチックじゃない。」
「何を言うの、とても大変で、ロマンチックどころじゃなかったのよ。」
「いいな、私も旦那さんにハネムーン先のホテルで浣腸をしてもらおうかな。」
「もう、えり子ったら・・・。
 こんなこと、お話すべきじゃなかったわ。」
 
 私は新婚同士の父と母に、上高地のハネムーン先の旅館でそんなエピソードがあった
ことに驚きました。
 夜になってもそのことで頭がいっぱいになって、興奮して眠ることができませんでした。
 
「お母さん、どんな姿勢で浣腸をしてもらったんでしょう。
 お父さん、どんな顔をして、お母さんに浣腸をしたんでしょう。」

想像するだけで、熱くなります。

(その5 再び母)

 その後また母とおしゃべりをする機会が巡ってきました。
日曜日の午後、コーヒーとショートケーキを食べながらダベリます。

「えり子、受験勉強は順調に進んでいるの?」
「大丈夫よ、心配しないで、お勉強はちゃんとやってるわ。」
「そう、あなた達のこと、あまりかまってあげられないけど、頑張ってね、
 睡眠と栄養は十分とるのよ。」
「うん問題ないわ、それにウンチはおばあちゃんが毎日チェックしてくれるし・・・。」
「受験は体力が一番なのよ。」

「お母さん、この間、浣腸の話、おもしろかったわ。」
「やだ、あんなこと忘れてちょうだい。」
「もっと聞かせて、大人になって他に浣腸の経験はないの?」
「あなた、浣腸に興味をもってるの?」
「ううん、そういうわけではないけれど・・・。」
「いいわ、何でも知識が増えるということはいいことよ、教えてあげる。」
「是非聞きたいわ。」

 母の浣腸談義が始まります。
「女性は誰でも、大人になっても必ず浣腸のお世話になるのよ。」
「ふ〜ん。」
「女性の体は複雑で繊細なの、特に子宮や卵巣は腸と隣り合っているし、ホルモンの
 関係もあって、便秘しやすいのよ。
 それに、お産のときはたいてい浣腸をするわ。」
 
「そうなの、男性は便秘しないの。」
「男性は昔、外に出て狩猟をしたり、馬に乗ったり、闘争をしなければならない
 でしょ、そのとき身軽に動き回る必要があるでしょ。
 当然、便秘だと困るわね、だから男性の体は便秘しないようになっているのよ。」
「そうか、女性は家の中にいるから、便秘をしてもかまわないわけね。」
「まあ、そういうことね。」

「お母さん、お産のとき浣腸の経験はあるの。」
「もちろんよ、あなたを生んだとき、500ccの石けん浣腸をしたわ、おかげで
 あなたは安産だったのよ。」
「へ〜ぇ、私は石けん浣腸の後に生まれたんだ。」
「そう、ただし、ゆり子のときは逆子だったので帝王切開になったの。」
「ふ〜ん、浣腸はしなかったの。」
「帝王切開は外科手術だから、やはり浣腸をするのよ。」

「まだあるわ、音大生のとき、声を使いすぎて声帯にポリープができたの。
 入院して全身麻酔の手術だったから、やはり浣腸をしたわ。」
「浣腸をしなかったら、どうなるの。」
「麻酔で意識がなくなるから、失禁するかもしれないし、術後におなかにウンチが
 たまっていると、回復に影響するかも知れないわ。」
「なるほど、よくわかったわ。」

「まだまだあるわよ、もっと聞きたい?」
「うん、是非是非聞きたいわ。」

(その6 また母)

 母はなおもしゃべり続けます。
何事も包み隠すことが嫌いな母は全部話をしないと、気がおさまらないのです。

「私とお父さんは45才になったでしょ、いわゆるガン年齢になったわけなのよ。」
「ガンって、怖い病気でしょ。」
「早く発見すればそれほど怖くないのよ。」
「そうなの。」
「だから、私とお父さんは1年に一度、一緒にガン検診を受けることにしたの。」
「それはいいことね。」
「いわゆる人間ドックよ。」
「聞いたことがあるわ。」
「肺、胃腸のがん、それに乳ガン、子宮がんの検査を受けるのよ。」
「検査が多いのね。」
「そうよ、この部分がガンになりやすいのよ。」
「そうなの。」

「検査のうち、やっかいなのが大腸の検査なの。」
「ウンチを出して、おなかをきれいにするのね。」
「そうよ、検査の前にお父さんと一緒におなかをきれいにするお薬を
 飲むの、お父さんはそれですぐにおなかがきれいになっちゃうのよ、
 ところが私はだめなの、だから私だけ浣腸をしなければならないのよ。」
「それは大変ね。」
「えり子がするような小さな浣腸じゃないのよ、大きなガラス容器で
 何リッターもお尻からいれられちゃうのよ。」
「きゃ〜、それは大変ね。」
「でも毎年それを受けてるから、もう慣れちゃったわ、不思議よ。」

「お母さん、浣腸はずいぶん経験してるのね。」
「そうよ、ちょっと恥ずかしいけれど、とっておきのお話があるのよ。」
「え〜、それも聞きたいわ。」
「お父さんには内緒よ。」
「うん、約束するわ。」

「去年の夏休みに、お父さんと私、二人で一緒に旅行をしたでしょ。」
「そうよ、あれは結婚20年の記念の旅行だったのよ。」
「そうか、私たち留守番をしたのを覚えてるわ。」
「どこに行ったと思う?」
「さあ、よく聞いていなかったわ。」
「新婚旅行と同じコースよ、同じ日に、しかも同じ旅館の同じ部屋よ。」
「確か、上高地?」
「そうよ、新婚旅行のときと同じ行動をしようと二人で決めたの。」
「へ〜、それはおもしろそうだわ。」
「お父さんったら、言うのよ。」
「きみ、今日の今頃、この部屋で何をしたか、覚えているか?」
「もちろん、私、忘れてないわ、あなたがしてくれたことを・・・。」
「そうか・・・。」
「ねぇ、私、またあのときと同じ体調なの、だから同じようにして欲しいの。」
「そうか、もちろんいいさ、君に浣腸をするのは20年ぶりだね。」

「お父さんったら、同じ部屋で、同じ時刻に、あの当時と同じように、
 私に浣腸をしてくれたわ。」
「すご〜い、素敵ね。」
「そして、君のお尻の穴は20年前と変わらないね、なんて言われちゃったわ、
 お父さん、まじめな顔してそんなことを言うのよ、恥ずかしいやら、おかしいやら、
 笑っちゃったわ。」
「お父さん、そんなこと言ったの、きゃ〜エッチね。」

「二人とも20年前を思い出して、燃えたわ。」
「浣腸で火がついて、それから大ブレークしたのよ。」
「お父さんが精一杯お母さんを愛してくれたのね。」
「そうよ、夫婦っていいものよ、いくつになっても・・・。」
「私もお父さんのような人と結婚したいわ。」

 私は母がうらやましく感じました。
私、父からまた浣腸をして欲しく思いました。

 それに、女性の場合、大人になると何度も浣腸を経験できそうです。
私、早く大人になりたいと思いました。

(その7 叔母)

 私には叔母が一人います。
叔母も祖母と同じように、連れ合いを早く亡くして、再婚もせずにいます。
子供もいなかったので、独り身なのです。
 わが家は教育者の家系なんです。
祖母が家庭科を教えていたし、父が英語、母が音楽の教師をしています。
母の妹のとし子叔母も、体育の教師なんです。

 もう年令は40代の後半なのですが、年令よりはるかに若く見え、
プロポーションも抜群なんです。
さっぱりした性格で、私は叔母が大好きです。

 この叔母も母の話では、母と同じく祖母によく浣腸をされたそうです。
そのことを一度是非聞いてみたいです。

 ある休日に、実家に戻ったとき、叔母のアパートを訪問しました。
特に用件があったわけではなかったのですが、ふらりと目的もなしに訪れたのです。
叔母は私の訪問をとても喜んでくれました。

 叔母の部屋には亡くなったおじさんの遺品が多く飾られています。
チロルハットやピッケルなどです。
写真がありました。
山の頂上で叔母と一緒に撮った写真です。

 私の父と母は登山が趣味で、この地区にある登山同好会に入っています。
同じ仲間に素敵な男性がいて、母は彼に叔母を紹介したのです。
二人は一目惚れし、間もなく結婚したのです。
それが叔母とおじさんのなれそめでした。

 それから二人は一緒によく登山をしました。
2年目の冬に、叔母が忙しかったとき、たまたまおじさんは単独で山に
入ったんです。
そこで運悪く雪崩に巻き込まれたのです。
 そのときの叔母の悲しみはどんなに大きかったことでしょう。
そのとき以来叔母は登山を止めてしまいました。
そして、叔母は今まで再婚もしないんです。
子供もいません。

「えり子ちゃん、よく来てくれたわね、元気そうじゃない。」
「おばさまもお元気そうで、何よりです。」
「大学生活はどう?」
「はい、のんびりやっています、けっこう楽しいです、友人もできました。」
「そう、それはよかったわ、もうすっかり大人ね、今日はゆっくりして行ってね。」
「はい、ありがとうございます。」

「おばさん、抜群のプロポーションを保っておられますが、そのヒケツを
 私に教えて欲しいの。」
「ヒケツなんか特にないけど、いくつか注意はしてるわ。」
「教えて下さい、私も参考にしたいです。」
「気を付けてることが5つあるわ、食事、運動と休養、睡眠とここまでは
 普通よね、私の場合はこれに排泄と趣味が来るの。」
「始めの3つはよくわかります。」

「私ね、仕事柄体をよく動かすでしょ、それに食べ物のバランスにも注意
 してるし、睡眠も十分取っているわ。」
「なるほど、当たり前のことをきちんとなさってるんですね。」

「排泄も大切よ、あなたのおばあさん、便通にうるさいでしょ。」
「そうですね、私、祖母によく浣腸をされました。」
「それは私もそうよ、便通って健康を保つにはとても大事なことよ。」
「そうなんですか。」
「私、便秘しないように注意してるのよ、繊維の多い食べ物をよくとるわ。」
「それじゃあ、おばさま、便秘とは無縁ですね。」
「ところがそうはいかないのよ、つきあいでお酒を飲んだり、たまに旅行に
 行ったりすると、リズムが狂うのよ。」
「おばさまでもそんなことがあるんですか。」
「そう、でも私、絶対ためないようにしてるの、早めに浣腸を使うのよ。」
「便秘のときはやはり浣腸がいいですか。」
「そうよ、お薬やクセになるからよくないわよ、特に、若い女性は妊娠の
 可能性があるから、ふだんから薬を飲む習慣は禁物よ。」
「そうですね、排泄のことはよくわかりました、私もそれは大切なことだと
 思います。」

「私、女子校で体育を教えていて、体操部の指導もしているのよ、若い子と
 体を動かし、大きな声を出すのは体にとてもいいの。」
「おばさまはやさしいし、よく気がつくし、面倒見がいいから皆から信頼
 さなるでしょう。」
「でも大変なこともあるわ。」
「そうですか。」
「女の子の健康管理がやっかいなの、ケガ、発熱、生理、下痢や便秘などほとんどの
 子がこのどれかを訴えるのよ。」

「最近、こんなことがあったのよ。」
「ほう、どんなことですか。」
「*市に移動して、県大会があったの、午前中は段違い平行棒、平均台、午後から
 跳馬と床運動の競技があったの、午前の部でうちの高校のエースの子にアクシデントが
 あったの、何と、段違い平行棒と平均台の両方とも落下しちゃったの、実力がある子
 なのに・・・、私はケガをしたかと思って演技が終わって駆け寄ったの、ところが
 彼女、ケガではなくおなかが痛い というの、私、彼女のお母さんに電話をして、
 それから彼女を病院に連れて行ったの、
 そのとき、彼女は不安だから付き添って下さいというので、診察室に一緒に入った
 の、先生はおなかのX線写真を見ながら、単純な便秘のようですと言って、ナースに
 浣腸を指示したの、彼女、怖いからと言って私にそばにいて欲しいと言うの、だから
 私、 処置室で彼女の手を握っていたの、ナースは120ccの大きな浣腸を彼女に
 したの、浣腸が大きかったこと、彼女は浣腸に慣れていなかったことなどで、結局
 トイレには間に合わず、ナースが便器をあてがったの、すると、彼女、かわいい顔に
 不釣り合いに、大量のうんちを出したの、よくもまあこんなに溜めたものだと、
 驚いちゃったわ。」
 
「それじゃあ平均台から落ちても不思議じゃなっかわけですね。」
「そう、その通りよ。」
「それで、どうなったんですか?」
「彼女はすっかり元気になったわ、そして午後の部の競技に参加したの、
 跳馬も床運動も最高点だったわ。」
「浣腸のおかげですね。」
「そうよ、それからしばらくして、次の大会のとき、彼女が私に言うの。」
「先生、この前はご心配をおかけしました、今回は私、大丈夫です、
 今朝、浣腸をしてきましたから・・・。」

「あの出来事があってから、他の生徒も試合のあるときはたいてい事前に
 浣腸をするようになったそうよ、私、そうしなさいと指示や命令を出した
 こともないのに・・・。」

(その8 再び叔母 )

 叔母とのおしゃべりはまだ続きます。
「おばさま、おじさまを亡くされたときは大変でしたね。」
「そう、そのとき私、もうどうして生きていったらいいか、わからなくなって
 しまって・・・。」
「それはそうでしょう。」
「あの後、体調がすごく悪くなったの。
 めまいや手足のふるえ、胃腸障害などが出て、体調は最悪だった。」
「いろんな科のお医者様にも診てもらったけど、どこも異常なしの結果なの。」
「そうですか、それはつらかったですね。」

「もともと便秘がちだったけど、食欲不振もあって、便秘がますますひどくなったの、
 それで仕方なく浣腸をしたの。
 すると、体も心もすっきりした。
 浣腸を繰り返すと、体調も次第に上向きになったわ、きっと自律神経が狂っていたのね、
 私の場合、浣腸がその病気に一番効いたのね。」
「それは、体と心の両方に効いたんですね。」
「そうよ、その通りよ。」

「私もストレスがあるとき、浣腸をすると気分よくなった経験があります。」
「そう、それともうひとつお話しするわ、あなたはもう大人だから・・・。」
「はい。」

「それは夜の営みのことよ。」
「そうですか、それは是非お聞きしたいです、後学のために。」
「ひとりでいると、長い夜を過ごすのはとてもつらいの・・・、
 特に、愛する人と毎晩のように愛を交換したのに、その人が突然いなくなった身に
 とっては・・・。」
「それはわかります、よく理解できます、まだ経験はないけど・・・。」
「体のほてりが収まらないのよ。」
「はあ。」
「それを助けてくれたのが、これまた浣腸なの。」
「浣腸をすると、いいきもちになって、そのほてりが解消されちゃうの。」
「浣腸器がおじさまの代わりになってくれたんですね、あっ、こういう言い方は失礼
 でしたか。」
「いいのよ、その通りなのよ。」
「そうですか。」

「だから私は浣腸器と再婚したようなものなのよ、これさえあればもう何も私には必要
 ないくらいよ。」
「そんなにいいんですか、浣腸はまさにおばさまの趣味と言えますね。」
「そうそう、健康を維持するのに趣味が必要と言ったのはそういう意味なのよ。」
「よくわかりました、おばさまにとって、浣腸は医師の代わり、おじさまの代わり、
 そして心と体の乾きを癒やす友の代わりなんですね。」。

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