恵子と会社のトイレ
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恵子は、小さな製造工場に勤める20歳のOLである。
中肉中背で、ポッチャリと言うほど太っていないが、細身と言うには些か無理がある。
顔立ちも、美人系と分類できなくもないが、どちらかと言えば癒し系に属するだろう。
性格もおとなしく、現代の若い女性の中では控え目な方だろう。
言わば平均的要素が大部分を占めるという点は、彼女自身、子供の頃から自覚しており、それが人格形成に影響を及ぼした面もある。
いつの頃からか、「私は何でも人並みにできなくてはならない」という基本理念に囚われ始めていた。
ただ、彼女には1つだけ悩みがあった。
体質なのか、生活習慣からなのか、他人に比べて身体全体が固いのだ。
中学生の頃、体育の授業でスポーツテストを実施した際に、他の要素は人並み、或いはそれ以上だったが、柔軟性の項目が全て平均値を下回っていたのだ。
以後、開脚・前屈・背屈を日課にし、高校を卒業する頃には、何とか平均値をクリアするに至った。
だが、社会人になり、恵子の前に新たなる壁が立ち塞がった。
和式トイレ――
恵子は、子供の頃から洋式トイレで育ち、小・中・高と学校も洋式トイレが半分くらいあった。
だから、何のためらいもなく洋式トイレを使い続け、和式トイレは日常にはなかったと言っていい。つまり、しゃがむという行動が非日常的な行為だった。
当然足首は固く、いわゆるウンコ座りはできなかった。爪先立ちという不安定なしゃがみ方しか術はなく、長時間は耐えられなかった。
高校卒業後、現在の会社に就職したが、そこには和式トイレしかなかった。
厳密に言えば、別棟に1つだけ洋式トイレがあるのだが、そこは基本的に女工さんの縄張りである。頻繁に使えば、嫌味のひとつも言われるに決まっている。
ただでさえ、「あなたたち事務員の給料を賄っているのは私たち」という自尊心の塊が支配的である。また、実際に彼女たちはよく働いた。
そんなピリピリした状況の中で、排泄行為の為だけに立ち寄れば、どんな目で見られるか――結末は判り切っている。
就職してから1年余り、恵子は、勤務中極力トイレに行かなくても済む様に、水分の摂取を控える様になり、いつしかそれが習慣になった。
だが、全くトイレに行かなくて済む訳ではない。体調次第、或いはお昼休みに飲んだお茶が尿意を誘発する事もある。
そんな時は、観念して和式トイレを使う事になる。
当然、短期決戦。前の壁に手をつき、爪先立ちでしゃがみ、排泄が終わればすぐに立ち上がり、後始末をするという対策で事なきを得てきた。
勿論、就職以降、毎日の様に足首のストレッチとしゃがむ練習は欠かさずしていた。
ただ、思う様に足首は柔軟にはなってくれず、また、爪先立ちでは精々2分、壁に手をつけても4分が限界だった。膝および足首・足裏の筋が自らの体重に悲鳴を挙げてしまう。
それ以上続けたら、自力では立ち上がれず、膝をついて立ち上がるか、尻餅をつくしかない。自室の床ならそれでもいいが、トイレではまずいだろう。
更に恵子を不安に陥れるのは、ストレッチをして少し柔らかくなったという手応えを掴んだ後、翌日はまた少し固くなってしまっている事実だった。引っ張られた筋が元に戻ろうとする収斂作用というのは理解できたが、いつになったら踵を床につけてしゃがめるのかと考えたら、暗憺たる思いに苛まれた。
というのも、水分を控えている為か、或いは日々のストレスからか、社会人になって以来、恵子の便通はやや不順になっていたからだった。
3〜4日の便秘の後、硬い便と共に軟便が排泄され、その日は数回軟便〜下痢をするというパターンになっていた。
一般の女性に比べたら、「甘い」「そんなの便秘じゃない」と言われそうなサイクルだが、和式トイレに苦慮している恵子にとっては切実な悩みだった。
実際に、会社で便意があってもひたすら我慢を続ける事は珍しくはなかった。自宅まで必死に我慢を続け、帰宅と同時に靴を脱ぎ捨て、ベルトを外しながらトイレに駆け込み、半泣き状態でとても便秘中とは思えないほどの凄まじい勢いの排便をした事も一度や二度ではない。
しかも、そんな時に限って長くなる。一度で出し切れる筈もなく、数回の腹痛の波によって断続的に出る。その間も、常に鈍い腹痛は治まるべくもなく、従ってトイレからは離れられない。最低でも、腹痛が引くまで15分はかかってしまう。長引けば、30分近く座りっ放しになる。
今までは、15〜17時頃に腹痛が起き、まだ我慢できてきたからいい様なものの、もしこれがもっと早い時間に起こっていたら、とてももたなかっただろう。
更に、便秘が常習化した為か、便の先端が太くなり始めていた事も自覚していた。
洋式なら、座る瞬間にお尻の肉を開き、そのままの状態で座れば穴が開くので出やすくなるが、和式ならその役割を手で果たさねばならない。
片手でお腹をさすりながら、片手でお尻を開く。こうなると壁に手をつきしゃがんでいる恵子にとっては、支えを外す事になり、極めて不安定な体勢になってしまう。膝を配管に触れさせれば少しは安定するだろうが、手で支えているよりは不安定だ。
以上の理由から、今や恵子にとってはウンコ座りは至上命題となっている。
幸いに、女性の多い職場である。体型的に恵子と変わらない人も多く、しゃがむ姿勢の観察には適している。
注意深く観察すると、いくつかのグループに分けられる事に気づいた。
以下は、恵子の手帳からの抜粋である。
【足幅】
両足の踵の間の距離。
殆ど「気をつけ」状態の人もいれば、数cm間を空けている人もいる。最も多いのは、肩幅程度。それ以上開く人も数名。
【爪先】
まっすぐな人もいれば、ちょっと開く人もいるが、30〜45度ずつくらい開く人が最も多い。稀に90度近く開く人もいる。
【その他】
できない人は、まずしゃがもうとしない。爪先立ちでしゃがんでも、すぐに立つ。
ウンコ座りはこの2つの要素の組み合わせという事に、恵子は漸く気づいた。
しゃがむという行為は、バランスをとるという事。膝が前に出れば、とりあえずバランスはとれそう。
その為には、爪先を開けば…。
そこに気づいた恵子は、帰宅後、いつにも増してしゃがむ練習を繰り返した。
試行錯誤の末、足幅を肩幅より拳1つずつくらい広めに開き、爪先を60度くらい開き、太腿にお腹を押しつけた精一杯の前傾状態で、漸く踵をつけたまましゃがむ事に成功したのだった。
この姿勢なら、10分くらいならもちそうだった。後は訓練次第で時間は延ばせそうな感触も得た。
「やっとできた…」
恵子は、嬉しさ半分、安堵感半分でしゃがみ続けていた。身体にこの姿勢を覚え込ませたいという気持ちからだった。
ただ、股関節・腿の内側の筋・脛・アキレス腱・足裏の筋が張り、やはり10分が限界だった。最後には腰にまで痺れがきたが、自力で立ち上がれた。
しかし、とにかくしゃがめる様にはなったのだ。足首を回しながら、恵子は喜びを噛み締めていた。
後は、少しずつ身体を慣らしながら、今日痺れた関節を柔らかくすればいい。その為には、実践が一番の効果をもたらす。
普段は事務の仕事上、スカート姿なので、この姿勢は流石に恥ずかしいが、トイレなら練習になる。
それ以来、水分補給を積極的に行なう様になった。
小用なら、かかっても2分。後始末もしゃがんだままこなせる様になった。
そんなある日の事だった。
便秘は相変わらずだったが、定時頃に強い便意を感じた。
従来の恵子なら、蒼ざめた表情で自宅まで我慢したであろう。
だが、今は寧ろ「この日の為に練習したんだから」という妙な積極性が芽生えていた。事実、あの日以来、訓練にもより熱が入り、少しずつではあるが、耐えられる時間も長くなり、また足幅・爪先の開き具合いも狭くなっていた。爪先は45度、足幅は肩幅で20分くらいなら耐えられる様になっている。
平均程度の柔軟性を持つ人が、緩やかな上り勾配に向かってしゃがむイメージか。
同僚が帰途につくのを確認し、恵子は意を決してトイレの扉を閉じた。
既に腸は音を立ててうねっている。如何にも太くて硬そうな先端は、既に出口をノックしている。
恵子は、(しゃがみやすくする為)ショーツを脱ぎ、ドアのフックに吊るした。そして、スカートをたくし上げ、練習通りしゃがみこんだ。
「パキッ」「ブゥゥ!」
膝の関節音と放屁が殆ど同時だった。
「お腹痛い…出るっ!」
誰もいない事を幸いに、恵子はそう呟いた。
「うんちしたい…うんちしたい…」
心でこう唱えながら、腿と下腹部の中に手を挟み、さすりながら押す。
穴が開き、秘結した先端が頭を覗かせる。見ずとも想像はできたが、黒褐色で硬い。
すぐさま両手をお尻に回し、肉を開く。穴が開かれた分だけ出やすくなり、秘結部は過ぎた。
その途端、
「ニュルニュルニュルッ、ブーーッ!」
直後にあった健康便が勢いよく出て、更にその奥に溜まっていたガスが出て、第1章は完結した。
ただ、今までの体験から、これだけで終わる筈がない事を、恵子は熟知していた。寧ろ、ヤマ場はここからという事も。
第1章が完結した時点で、気負いの為か、或いは無駄な力が身体に入った為か、腰と足首にいつも以上に強い張りを感じた。
それでも、まだ耐えられる。
お腹が僅かにへこんだ感覚だけで、腹痛はまだ消えていない。寧ろ、出口の支えが排出された分、残存している軟便の移動の自由度は増し、従って腸の蠕動はより活発化した。
音こそしないが、明らかにグネグネと動く感覚は確認でき、腸の奥から一斉に出口めがけて押し寄せる。
先程、太い便を出した為、腹圧をかければ肛門はまだ比較的容易に開く。
暫くその状態を保つと、尾底骨付近がヒクヒクし、次の瞬間、
「スーーッ……ビリリリリッ!」
とガスが抜け、
「スルスルスルッ、ヌルニュルッ」
と、先程よりはかなり細目の、若干硬めの便が2本出た。
それと同時に、臍の内側から引っ張られる様な痛みを覚えた。
完全に下痢の信号である。
「お腹痛い…早く出て」
恵子の額には、うっすらと脂汗が滲んでいた。アキレス腱〜ふくらはぎにかけてはパンパンに張り、足首は紙の様に白くなっていた。
「チーー…チョロチョロ…」
力のない放尿が、その前座だった。
終わるかどうかのタイミングで、一気呵成に残留便が押し寄せた。
「ミチミチミチブビ、ブルルブッ、ビャーッッ!」
恵子のお尻の位置は(前屈み度が大きい分)高めだった。その分だけ拡散度も大きく、便器の側面はもとより、左右および後方の縁にも軟便・液便が飛び散った。足幅が広い事が幸いし、辛うじて床やソックスへの飛散を免れたのは不幸中の幸いと言えるだろう。
無論、一度の排出で終わる筈もなく、二度、三度に亘り声を殺した息みを伴った。もっとも、声の代わりに排泄音がその内容を雄弁に物語ってはいたが。
途中、恵子は、足腰への負担を覚悟で上体を更に前に倒し、自らの出した物を確認した。
松笠に近い球状の真っ黒な秘結便。
それとほぼ同じ直径を持つ20cm程度の棒状の便。
鉛筆状の便。
そしてそれらを覆い、更に便器一面を毒々しく彩る軟便・下痢便…。
便の量・状態もそうだが、臭気も酷く、恵子は赤面せざるを得なかった。
いつもは自宅の洋式の為、幾分でも水封が臭気を遮断し、また、改めて自分の排泄物を凝視する事もなかったので、ここまでの自覚はなかった。
お腹は随分楽になったが、代わりに羞恥心に火が点いた。
とにかく、まずは後始末だ。
水洗レバーを押し、水を流し、お尻を拭った。前はともかく、水状・ゲル状のものが相当量付着しており、7〜8回くらい拭き、やっと後ろの始末を終えた。
恵子は、膝頭を手で押さえながら立ち上がった。
止まっていた血流が促され、間もなく両足…特に下腿にジンジンと痺れが回ってきた。更には、軽い貧血状態も同時に襲ってきた。
自分の部屋なら、間違いなく尻餅をついていただろうが、最後の頑張りで恵子は後ろの壁に身体を預けた。
その視界には、水流で賄い切れなかった側面・縁への飛沫と、便器の底ににじりつけられた便の痕跡が飛び込んできた。
すぐにでも後始末をしたかったが、膝も笑っており、長時間の緊張を強いた足腰にも痛みが残っている。
恵子は、そのままの体勢で暫く立ち尽くした。
痛みはともかく、痺れが引くまではそれを余儀なくされる事は解っていた。
そんな中、真っ先に覚えたのは、達成感だった。
子供の頃からしゃがむのに慣れていたら、こんな苦労はしなくても済んだかも知れない。
ただ、中学・高校という思春期以降、長い間コンプレックスだった身体の固さ、社会人になってからも、和式トイレで痛感した足腰の固さ…。
払拭はまだまだできないが、とりあえずウンコ座りで大便ができた事が、恵子にとっては少しだけ自信になった。
本当は、自宅以外で大便をするのはまだまだ恥ずかしいが、便秘が治った後、いつしたくなるかなどは判らない。まして、残っているのは基本的に軟便・下痢便である。トイレの種類を云々している間に、取り返しのつかない事態を招かないとも限らない。
緊急事態への備えができたという意味でも、恵子には心強かった。
今までは、破裂寸前のお腹を抱えていても、ただひたすら自宅のトイレまで我慢するしか手だてがなかったのだから…。
足首を回したり伸ばしたり、或いは腰を捻りながら、恵子は感慨に耽っていた。
…立ち上がってから10分近く経っただろうか。いい加減後始末を、と思った矢先に、
「ゴボゴボッ、ギュゥゥ、ギュルググッ」
と、如何にも腸の中で発酵してそうな、イヤな音が下腹部からした。
すぐさまその部分は張り、強い排泄欲求に至るまでに時間はかからなかった。
「またぁ…?」
恵子は眉をひそめ、悲しげな表情で再びスカートを捲り上げ、お腹をマッサージしながら、先程より若干前の位置で、同じく先程より少し足幅・爪先を開いてしゃがみこんだ。
足首・膝・股・腰、各関節に鈍い痛みを覚えた。
「ピチピチ、ビュッ、ピュル、ピピピビビ…」
腸の中で出口が締められたかの様に、出るのは熱いガスと僅かな液便だけだった。無論、腹痛がひく訳がない。
「早く出てよぉ…」
先程も足腰が限界寸前まで追い込まれている。次は、さっきの様な長期戦はとても無理だ。
気を抜くと、脛の筋肉が痙攣を起こしそうだった。
恵子は堪りかね、不安定になるのは承知で、爪先立ちの体勢へと移行した。左手でお腹をさすり、右手を壁に突っ張らせた。
そして、上体をできるだけ起こした。
…普段、洋式で下痢を排便する時、時に前屈みより背筋を張った方が出やすい事がままあった。その体験を実践してみたのだ。
恵子は、祈る様な思いでお腹をマッサージした。独特の刺す様な痛みは消えなかったが、痛む位置は僅かずつではあるが出口に近づきつつある気がした。
そんな闘いを数分続けたろうか。突如として温湯の様な水様便が勢いよく出た。それは和式便器の底に溜まっている水をまっすぐに打ち付け、両サイドの側面を新たに汚した。
真っ黒な水だった。
「ビリリリ…ブッ、ブチッ、ニュルヌルビッ」
徐々に勢いを増すガスを出し、最後に申し訳程度の軟便を出した。先程とは対照的に、明るい黄土色の、七分粥状の下痢便だった。
全てを出しきった恵子だが、もはや余力は残されていなかった。
両手を前の壁につけ、水平方向に体重を預けながら、脚にかかる負担を軽減し、何とか腰を立たせた。
足は地面・手は壁という体勢を、暫くは変える事ができなかった。
首を下に向けると、改めて自分の出した物が目に入った。
真っ黒な水様便が、恵子にはショッキングだった。便秘便がこの色である事はさほど珍しくはなかったが、下痢=茶色・黄土色という観念があった恵子にとっては、恐らく初めての排泄だった。
反面、「これが宿便だったら、ちょっと痩せるかな」という思いも、心の片隅にあった訳だが。
【エピローグ】
それはさておき。
お尻を拭い、ショーツを履き、後始末と身繕いを済ませた恵子は、時刻を確かめた。
17時50分…
つまり、40分余りの時間を排便に費やしたのだった。
それはどうでもいいのだが、従業員用の門扉は6時で閉められてしまう。
両膝で長時間にわたって伸ばされたショーツのゴムの若干の緩みと、足腰に残された痺れとに気をとられながら、辛うじて退社に間に合った。
家路では、今日の排便の余韻の反芻に神経の大部分を注いでいた。
あれだけ辛かったのに、いつかまた同じ排泄をしたい――暝目しながら、そう考えていた――
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