浣腸の思い出
3 出てきた秘密
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そのあと私と妹は、二個めのイチジク浣腸や、さらには浣腸器がないかと思って押し入れを探したのですが無駄でした。ただし、副産物として、亡くなった母が私のために付けてくれていた育児日記が見つかったのです。そしてそこからは、私にとっての意外な秘密があらわれてきたのです。
妹にせがまれて、私の育児日記を読んでいくと、なかば恐れ、なかば期待していたものがあらわれてきたのです。それは、「あかねに始めての浣腸」、という一節で、その後たびたび、「あかねに浣腸」、が現れてくるのです。妹が聞いている前で、「カンチョウ」、とのう言葉を口にする私は、そんなことは何でもないんだ、と心で思いながらも、声が震えてしまうのです。そしてふと、妹の顔をのぞくと、「お姉ちゃんも、赤ちゃんのときにはよく浣腸をされていたのね。私、うらやましい」、という感想が返ってくるのでした。
私としては、「麻衣ちゃんは便秘症だから、私よりもたくさん、お母さんから浣腸されていたと思うわ」、と慰めてやるしかありませんでした。
ただし、妹にも、どうしても読めなかった部分があります。それは、「実家に帰る。父と母があかねに浣腸をしてくれる」、とする一節でした。なぜといって、そこでの私は、みんなの見世物になっていると感じられてしまうのです。
育児日記を読んでみて、これまで不思議に思っていた疑問に、答えの出てきたことが一つあります。それは、物心がついて以後の私は、浣腸を見たこともなく、されたこともなかったのに、「カンチョウ」、という言葉に、きわめて敏感になっていることです。
たとえば、悪がきたちがカンチョウという言葉を叫んで、私のスカートをめくろうとすると、すごいショックを受け、自分が浣腸をされたような気持ちになっていまうのです。また、テレビのバライティー番組などに、浣腸の話が出てきたりすると、私は恥かしくなって、その場から逃げ出したくなってしまいます。それでいて、「カンチョウ」、という言葉が一日中、私の頭に響いていて、誰かに浣腸をしてもらいたいという、エッチな気分になってしまうのです。
私にとっての、「カンチョウ」は、この世で一番好きな言葉であるとともに、この世で一番恥ずかしいかしい言葉にもなっています。その理由として考えられるのは、母や、祖父母に浣腸をされた赤ちゃん時代の私が、すごく恥ずかしい気持ちになっていたためではないか、と思ってしまうのです。また、そのときの私は、「赤ちゃんの浣腸スタイル」、をとらされて、浣腸をされていたに違いありません。
「カンチョウ」、という言葉を聞いたときの私は、赤ちゃん時代に逆戻りしているのではないしょうか。これに関連して、私の頭に浮んでくる、ぼんやりとした記憶があります。いつの頃でしょうか。私と妹が、亡くなった母から何かをされているのです。まずはじめに妹が何かをされ、そこで泣き出しているのです。つぎに、私も何かをされるのです。そして、これだけははっきり覚えているのが、母から、「モーチャンをしてごらん」、と言われたことです。私が、「四つんばい」の格好になると、母から何かをされて泣 き出しているのです。
なお、いつも親から浣腸をされている男の子の多くは、三才くらいになると、浣腸のときに小さなオチンチンをビンと立たすようになる、との話が聞かれかます。これは多分、女の子も同じでしょう。モーチャンの格好をとらされて、母から浣腸をされていた私は、たとえ泣き出していたとしても、浣腸の持つエッチな気分を楽しんでいたのかもしれません。
そして母も、私と妹にいろんな格好をさせて浣腸をし、それを楽しんでいたのは間違いないのです。
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