SPACE銀河 Library

作:えり子

結 婚 式

 <その1>
 私はえり子、25才、OLです。
私は間もなく、恋人の良太と結婚式を挙げることになっています。

 私は今、父と2人暮らしです。
母は私が9才のときに、病気で亡くなったのです。
 そのとき以来父は再婚もせずに、男手1つで私を育ててくれたのです。
だから、私は結婚するのはうれしいのですが、父と離れるのはつらい
ものがあるのです。
しかし、父は私以上につらく、悲しいのではないかと思っています。

 物心ついてから20年、父と過ごした思い出が私の頭を駆け巡ります。
父は銀行員です。
お仕事が忙しいのに、家事もこなして、私の母親代わりに頑張ってきました。
父兄会などの学校の行事にも必ず顔を出してくれました。
私は父のおかげで、母がいないことの不便さ、ハンディキャップなどは感じる
ことなく過ごすことができました。

 父は私のことをほんとうによくかまってくれました。
私と父の関わりで、もっとも深く結びついていたあるものがあります。
それは浣腸なのです。

 <その2>
  私はえり子、25才、OLです。
父と2人暮らしをしていますが、もうすぐ結婚して家を出て行きます。

 父は私の健康については特別注意を払ってくれました。
特に、お通じに関しては毎日その有無を問われました。
朝、出かける前に必ず、私に聞きます。
「えり子、今朝うんちは出たか?」
 私は朝食の後たいていお通じがあります。
「うん、ちゃんと出たよ。」
こう答えると、父は
「そうか、それはよかったね。」
父は安心したように答えるのです。

 でも、私は小さいときから、ときどき便秘になりました。
朝も夕方もお通じがないと、父は言います。
「えり子、浣腸するから、こちらへ来なさい。」
そう言って、奥の部屋にビニルシーツを敷いて、浣腸の処置が行われました。
 それは母が亡くなってから、ずっと続いているので、もう15年以上になります。
それはもう父と私の間では、コミュニケーションの1つになっています。
父から浣腸をされると、便秘が解消して、すっきり、さわやかに感じられます。

 いつしか、父から受ける浣腸が私にとって、とてもうれしく、大切で、
かけがえのないものになっていたのです。

 <その3>
  父から初めて浣腸をされたのは私が9才のときで、母が亡くなった直後の
ことでした。
当時、私は母が亡くなった悲しみから、食欲がまったくありませんでした。
その結果として便秘になったのです。
 父は母が亡くなった当初から、毎日私のお通じの有無をチェックしていました。
2日間私はお通じがありませんでした。

 父は私に言いました。
「えり子、うんちが出ないと、体に悪いよ。
 病気になってしまうんだ。
 だから、今から浣腸をするよ。」
 
 父はこう言って、私を奥の部屋へ連れて行きました。
畳の上にタオルを敷いて、その上に私を横にさせました。
いちじく浣腸を手にもって、私の下着を下げました。
そして、私のお尻の穴にそれを挿入したのです。
それからすぐにお尻に液が入ってきました。
間もなく、おなかが痛くなりました。
 父はしばらくがまんするように言いました。
私、必死でがまんしましたが、うんちをがまんできなくなって、
おトイレに行かせてと父に頼みました。
父はそれではそうしなさい、と言って私をトイレに連れて行きました。
トイレではすぐにうんちが出てしまいました。
うんちが出た後もおなかはしばらく痛くって、私には浣腸はとても
苦しく、いやなものと言う印象が残ってしまいました。

 <その4>
  その後も私はときどき便秘になりました。
その都度、父は私にいちじく浣腸をしました。

 父は銀行員でしたから、忙しく、いちじく浣腸を買うのも大変だった
ようです。
 ある日、また便秘をしたとき、私は父に奥の部屋で待つように言われ
ました。
 しばらくして父が入って来ました。
ポリ容器と紙箱をもってきました。
その容器にはぬるま湯が入っていました。
 父が私に言います。
「今日からこれで浣腸しよう。
 薬局の人のすすめでこれを買った。」
そう言って父が紙箱から取りだしたのはエネマシリンジでした。
橙色のゴム球の両方にゴム管がついています。
 私はその姿、形を見ると怖かったのですが、父の命じるように、タオルの上に
横になりました。
私のお尻の穴にノズルが入れられました。
父がゴム球を操作すると、断続的にお尻からぬるま湯が入ってきました。
それはいままでとは違う感触でした。
不思議な感覚でした。
浣腸が終わりました。
おなかが少し重いような気がしましたが、いちじく浣腸のような痛みは
ありません。
しばらくがまんするち、うんちがしたくなりました。
それはいちじく浣腸のような突き上げるような感じではなく、少し
おだやかなものでした。
おトイレではきもちよくうんちが出ました。

 いちじく浣腸はきらいでしたが、エネマシリンジの浣腸はきもちよく
感じられました。
このとき以来、私は浣腸がもうきらいではなくなったのです。
そして、父から受ける浣腸はもう私にとってはかけがえのないものに
なって行くのです。

 <その5>
  私はふだんは便秘をしません。
しかし、生*が終わる頃便秘になりやすいのです。
生*が始まると、おなかが痛くなって、下痢をするのです。
そして、その反動で、生*が終わる頃便秘になるのです。
 また、遠足や運動会の翌日は疲れから、自律神経や腸の働きが鈍くなって、
便秘になるのです。
 おおかた月に1度くらいの頻度で私は便秘になります。

 今までずっと、毎朝父は私のお通じのチェックを欠かしたことがありません。
「えり子、今朝はうんちは出たか?」
「ううん、今日は出なかったの。」
「そうか、それはよくないね。
 学校(会社)に行ったら、トイレで頑張ってみるんだよ。」
「うん。」

 夕方、食事の後父は私に問います。
「えり子、今日は学校(会社)でうんちは出たか?」
「ううん、だめだったわ。」
「そうか、それはよくないね。
 じゃあ、浣腸をするから、準備しなさい。」

 私は奥の部屋に、ビニルシーツ、ティシュ、エネマシリンジ、ワセリンを置いて
待ちます。
父はぬるま湯の入ったポリ容器をもってきます。
私はシーツの上に横になります。

 父は私の下着を下げます。
エネマシリンジの先端と私のお尻にワセリンを塗ります。
先端部が私のお尻に挿入されます。
液の注入が始まります。
お尻とおなかに暖かいお湯の進入を感じます。
きもちいい瞬間です。
父は言います。
「きもち悪くないか。」
「ううん、大丈夫よ。」

 注入が終わります。
父は私のお尻をテッシュで押さえながら、言います。
「しばらく、このままがまんするんだよ。」
「そろそろ、おトイレに行くわ。」
「そうか」
・・・
「どうだった。」
「うん、うんち、ちゃんと出たよ。」
「そうか、よかったね。」
「ありがとう。」

 これが、いつものパターンです。
これは私が小学生の頃から、中学、高校、短大、そして大人になった今まで
続いています。

 学生の間は父からの浣腸は月に1度くらいの頻度でした。
でも、会社勤めをするようになって、生活も不規則になるし、ストレスも
あるので、便秘になりやすく、今は毎週1度父から浣腸をしてもらっているのです。

 <その6>
  25才になった私は今でもお通じがないときは、父から浣腸を受けるのです。
これは決していやなことではありません。
むしろ、うれしいことなんです。
便秘が解消して、おなかがすっきりします。
それだけではありません。

 それは父が私にかまってくれているということを、肌で直接感じる
ことができる瞬間なんです。
 父の暖かい手が私のお尻の穴に触れるとき、父のぬくもりを感じるのです。
これは父と私のふれあいというべきものです。

 浣腸のほかに、もう1つ父とのふれあいがあるのです。
それはお風呂なんです。
 父は週に1度、それは金曜日が多いのですが、父の気分がいいときが
あります。
銀行員なので、週末に忙しさから開放されて、ほっとするのでしょう。
夕食のとき、ふだん飲まないビールを少し飲むんです。
そして、私に言います。
「えり子、今晩一緒にお風呂に入ろうか。」
私は答えます。
「わぁ、うれしいわ。
お願いよ。」

それから、父と私は一緒にお風呂に入るのです。
お風呂の中では、父と会話がはずみます。
お風呂の中では今週1週間のできごと、最近の気になることなどを話します。
最近、ちまたでは親子の対話不足が問題視されていますが、私と父の場合、
その点はだいじょうぶなのです。

お風呂ではお互いの背中を流します。
初めに、私が父の背中を流します。
次に、父が私の背中を流します。
それが終わると父は私に言います。
「えり子、よつんばいになってごらん。」
私は言われた通りにします。

 <その7>
  25才の私は今週に1度お通じがないとき、父から浣腸をしてもらいます。
そして、週末には父と一緒にお風呂に入ります。
これがまた、父と私の間に長く続いている習慣なのです。
 互いの背中を流しながら、お話しをします。
その後、父が私にしてくれることがあるのです。

 父は私の背中を流し終わったあと、私に言います。
「えり子、よつんばいになってごらん。さあはじめるよ。」

 父は指にたっぷりせっけんをつけて、よつんばいになった私のうしろで、
私のお尻の穴を洗ってくれるのです。
「ここは汚れやすいところだから、清潔にしておかなければいけないよ。」
そう言いながら、父は私のお尻の穴をていねいに洗ってくれます。
 洗ってくれた後、しばらくお尻の穴を指でマッサージしてくれます。
これがとてもきもちいいんです。
そのせいで、私は痔とは無縁なのです。
恥ずかしい病気にならないのは父のおかげと感謝しています。

 お風呂も浣腸も週に1度くらいですが、私が9才のころから、25才に
なった今まで続いているのです。
私にとって、そのどちらも、うれしく、きもちよく、しかも楽しいことなんです。

 <その8>
  私は小学生の頃から、大人になった今まで、便秘のとき、父から浣腸を
受けていました。
 そして、お風呂で父からお尻の穴を洗ってもらい、そしてさらにお尻の穴の
マッサージまでしてもらうのです。

 私はもうすぐ、お嫁に行きます。
父とは離れて生活することになります。
父から浣腸を受けることも、もうなくなるのです。
お尻の穴のマッサージもそうなります。

 長年、父とのコミュニケーションとなっていたこの手段がなくなるのは私とても
さびしい気がします。
 父から浣腸を受けるとき、なぜかほっとするのです。
浣腸のとき、私のお尻の穴を通して入ってくるのは、浣腸液だけではなく、
父からの愛情も一緒に直接注がれているように感じるのです。
 お尻の穴を洗ってもらったり、マッサージをしてもらうのも同じです。

 明日はいよいよ私の結婚式です。
エステサロンと美容室から戻った私は父と最後の夕食をします。

 食後、あと片付けを済ませ、私は紅茶とフルーツを準備して、父を呼びます。
「お父さん、長らくお世話になりました。
 いよいよ明日から私、この家を出ます。」
「そうだね。
 いよいよだね。
 さびしくなるね。
 体に気をつけるんだよ。
 特に便秘はしないように。」
 
「うん。」

「浣腸のことで、えり子にちょっと話があるんだ。」

 <その9>
  私は明日お嫁に行きます。
父は私に、浣腸のことで、話しがあると言うのです。

 私は父に問います。
「何?」

  父は真剣な表情で、言います。
「お母さんのことさ。」
「そう。」
「お母さんは、お前が9才のとき、病気で亡くなった。」
「うん。」
「がんだった。手遅れだった。」
「そうなの。」
「お母さんは亡くなる前に、僕に、こう言った。」

「私、もうだめ。
 私の最後のお願いを聞いて。
 私、こんな病気になっちゃって。
 こうなったのは、私、便秘が原因だと思うの。
 私、小さい頃からずっ〜とひどい便秘だった。
 でも、便秘のとき、何も処置もせずに何日も平気で過ごしていたの。
 それはとても体によくないことだったと、今気が付いたの。
 その都度きちんと処置をしておけばよかったと、今反省をしているの。
 私はもうだめだけど、娘のえり子だけはこうなると困るの。
 あなた、お願い。えり子は絶対便秘させないでちょうだい。
 あれはとても体によくないの。
 お通じがないときは必ず浣腸をして。
 これ、絶対にお願いね。」
  それから、私、あなたには隠していたけど、痔も悪かったの。
 えり子にはこうなって欲しくない。
 お風呂に入ったとき、えり子のお尻の穴をよく洗って、よくマッサージをしてね。
 お願いするわ。」
 
「こう言い残して、お母さんは亡くなった。
 だから、その時以来、僕はお母さんの言う通りにしてきた。
 幸い、えり子はひどい便秘ではないが、ときどき便秘をしたね。
 だから、僕はその都度えり子に浣腸をしてきた。
 えり子はいやだったかも知れないが、そう言う事情があったんだ。
 お風呂でのお尻の洗浄とマッサージもそうだったんだ。」
 
「そうだったの。浣腸はいやじゃあなかったわ。
 わざわざお父さんがしてくれて、うれしかったわ。
 それに、ほんとうにきもちよかったし。
 体のためにもよかったんでしょ。
 お尻の洗浄とマッサージも同じよ。」
  
「でも、もうお父さんから、浣腸をしてもらえないのね。
 お尻の洗浄とマッサージもそうよね。
  お父さん、私、おなかをきれいにして、結婚式を迎えたいの。
 明日の朝、私に最後の浣腸をして下さらない。」
 
「うん、もちろん、いいさ。」
 明日は特別な日だから、おなかをきれいにして、行くといいよ。」

 <その10>
  いよいよ結婚式の日の朝になりました。
朝食とお片付けを済ませた後、私は父に言います。
「お父さん、今から最後のお浣腸をお願いします。」
「そうだね、そうしよう。」

 私はお道具をもって、いつもの奥の部屋に移動します。
父が部屋に入ってきます。
見なれない道具をもってきました。
父は言います。
「今日は最後だから、えり子のおなかをうんときれいにして送り出すのさ。
 だから、いつもよりていねいに浣腸をする。
 そのため、知人の医師からイルリガートルを借りてきた。」
「そうなの。ありがたいわ。」

 父はスタンドにイルリガートルをつるします。
そして、1Lのぬるま湯をその中に注ぎます。

 私はビニルシーツの上に、よつんばいになります。
父は下着を下げます。
そして、お尻の穴にチューブが挿入されます。
父は言います。
「入れるぞ。」
「はい。」

 お尻からあたたかいものがゆっくり入ってきます。
いつものような断続的な流れではなく、ゆっくりですが連続的に入ってきます。
とてもここちいい感じです。
「苦しくないか。」
「うん、いつもよりはきもちいいわよ。」
「そうか。もう少しで終わりだよ。」
「終わったよ。」
チューブが抜かれます。
父は私のお尻にティシュをあてがいます。
おなかは少し違和感がありますが、痛くはありません。
私はそのまましばらくがまんします。

 おトイレに行きたくなった私は立ち上がります。
そして、ゆっくりおトイレへ向かいます。

 きもちよい排泄がありました。
おなかはすっかりきれいになった気がします。
「おとうさん、おなかがすっかりきれいになったわ。
 ありがとう。」
「そうか、よかったね。
 僕がえり子に浣腸をしてあげられるのも、これで最後なんだ。」
 
  父はほっとしたような表情でしたが、一抹のさびしさのようなものも
 その表情から感じられました。

 <その11>
  いよいよ結婚式当日になりました。
私は朝、お父さんから、最後の浣腸を受けました。
イルリガートルを使って1Lを入れてもらったのです。

 その後、お風呂を沸かします。
そして、父と私はお風呂へ入ります。

 いつもと違って、今日は2人とも無口です。
 私はいつものように父の背中を流します。
父の背中には
「寂しい〜っ。」
と言う文字が書いてあるようでした。
いつもより背中が小さく感じます。

 今度は父が私の背中を流してくれます。
それが終わったあと、私は黙って、よつんばいになります。
父はいつものように、セッケンで私のお尻の穴をていねいに
洗ってくれます。
 それから、指で、お尻の穴をマッサージしてくれます。
人差し指が私のお尻の穴に潜り込み、内側で小刻みに動きます。
とてもきもちいいです。
 いつもより、洗浄もマッサージも時間が長く、ていねいでした。

 とても、きもちよかったです。
でも、お父さんからもうこうしてもらえなくなると思うと、
悲しくなってしまいます。

 <その12>
  私は父からイルリガートルで、1Lの浣腸をしてもらい、おなかがすっかり
きれいになりました。
その後、父といっしょにお風呂に入り、全身をきれいにしました。
そして、父は私の体のもっとも汚れている部分であるお尻の穴をせっけんで
ていねいに清めてくれました。
 こうして、心も体もみそぎを済ませた無垢の状態で、私は結婚式に臨むことが
できました。

 私と良太の結婚式は無事終わりました。
私は感動して、涙があふれて、止まりませんでした。
父も目がしらをハンカチでおさえていました。

 私と良太はそろって、ハネムーンに旅立ちました。
飛行機の中で良太は手紙と紙袋を取り出して言います。
「君のお父さんから出発直前にもらったものさ。」
「一体何かしら。」
  二人で手紙を開封して、読みます。

「良太君、えり子をもらってくれて、ありがとう。
 娘はふつつか者ですが、どうかかわいがってやって下さい。
 良太君に、2つだけお願いがあります。
  この子の母親は便秘が原因で、重い病気になり、亡くなってしまいました。
 亡くなる直前に、えり子に便秘だけはさせないようにと言う伝言がありました。
  その言葉に従って、私はこの子が便秘のときは、浣腸をしました。
 それから、この子の母親は痔でも苦しんでいました。
 痔にならないよう、お風呂でお尻の穴をよく洗浄し、マッサージをして
 やるようにとのことでした。
  それも私は週1回実行しました。
 でも、もうそれもできません。
 これからは、君が私の代わりに浣腸をしてやって下さい。
 便秘は体にとても悪いことなのです。
  それからお尻の穴の洗浄とマッサージもしてやって下さい。
 無理なお願いかも知れませんが、どうかよろしく。
 旅先での便秘に備えて、いちじく浣腸を同封しています。
 娘の体を心配する父親より。」
 
  良太は言います。
「そうだったのか。
 娘思いのお母さんだったんだね。
 お父さんもご立派だよ。
  だいじょうぶだよ。
 愛するえり子に、便秘の苦しさなんか、決して経験させないさ。
 そのときは、僕が浣腸をしてあげるさ。
 安心していいよ。
  お尻の穴のことも、僕がちゃんとやるよ。
 えり子の浣腸とお尻の穴の洗浄とマッサージは君のお父さんに代わって、
 これからは僕が責任をもって実行するよ。」

「そう、よろしくお願いね。よかったわ。
 私、幸せよ。」


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